自分自身の「育て直し」<番外編> 一度はちゃんと悲劇のヒロインになる

自分自身の「育て直し」について、連載で綴っております。 

 

自分自身の「育て直し」<1> 変容にはプロセスがある

自分自身の「育て直し」<2> 安全な場所ってどういうこと?

自分自身の「育て直し」<3>  感情と思考の違い

自分自身の「育て直し」<番外編> 〜Iメッセージ〜

自分自身の「育て直し」<4>  自己の確立、自己イメージの再構築

自分自身の「育て直し」<5>  適切に自分を客観視する

<6>鏡としての他者の必要性について書く前に

今日は、<番外編>として、一度はちゃんと悲劇のヒロインになる について書きます。

 

自分自身に向き合おう、自分を癒そうと変容を望もうとするときに
誰にもよぎる考え、想いがあります。

 

それは

「私よりツラい境遇の人はいたし、もっと大変な想いをして生きてきた人はいっぱいいるから……」

 

「自分は恵まれていたほうなのに、ツラいなんて言うのはわがままじゃないか……」

 

「親も大変な中で、一生懸命に自分を育ててくれたわけで……」

というもの。

 

こうした比較分析的な一般論を持ち出すと、私たちは一歩も動けなくなります。

 

それは、全部その通りだから。

 

確かに、あなたよりツラい想いをして生きてきた人はいる。
確かに、あなたが今生きているのは、何がどうであれ、ご両親のおかげです。

上には上がいる。
そして、下には下がいる。

 

そう考えて、気持ちが収まるのなら、目の前のことを大切に暮らすことができるなら
きっと、今のままで大丈夫。

 

でも、問題はそこではないですよね?

世間の声、人の目、一般論ではなく、
あなたはどう感じていたの?
あなたはどう思っているの?

という部分です。

 

「……」の部分の言いたいことがあるなら、
もしくは、あきらめや、ひねくれが強くて、やたらに他者のことを批判したかったり
「こうするべき」という想いが強くて、思い通りにならないこと
思い通りになってくれない人にイライラしていたり、
成功すること、輝くことを強烈に欲する自分がいるならば
「……」に続くドロドロした部分をちゃんと吐き出してみることです。

 

大人として、人としてこんなことを思っちゃいけないよね、ということでさえ、吐き出してみること。
すなわち、エゴの声をまずちゃんと聴いてあげることです。

 

そのプロセスを経なければ、エゴを手放すこともできない。
スピリチュアルな視点さえも得られない。

 

その底に光り輝くあなただけの純粋さ、美しさがあるのですが
そこを通らない限り、あなた自身がそれを視ることはできない。

 

ぐちゃぐちゃした想いがあるのなら
一度、ちゃんと悲劇のヒロインになりましょう。

 

ずっと「私」が感じてきたこと、どんなに頑張ってきたか、どんなに耐えてきたか、

誰のために何をしてきたのか、何を思っていたのか、を言葉にしてみましょう。

 

ただ、この悲劇のヒロインは「育て直しの場」において限定です。

 

一歩社会(=外)に出て、そのようなことを言ったら、
したり顔で説教するような方もまだまだ多い。

 

だから、自らの「育て直し」が必要と思う方は、

そのこころとからだを丁寧に、丁寧に、優しく、優しく、扱っていくことがとても大切です。

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