自分自身の「育て直し」について、連載で綴っております。
育て直し<1> → こちら
「育て直し」の第一歩は、安全な場所を見つけること、と書きました。
「安全な場所」とは、
○見たものや感じたことを自由に口にできること
○疑問があれば自由に質問できること
が、限りなく可能な場所、間柄
のことです。
自由に見て、見たものについて率直に語ること。
自由に聞いて、聞いた内容について意見を言うこと。
自由に触れて、感じた通りの感想を述べること。
…見たり聞いたりしたことを自由に言葉にするプロセスの中に、
こころの発達、すなわち、「育て直し」のエッセンスがあります。
自分のあたま、こころの中で反芻しているだけではなく
言語化して、伝えることがとても重要なのです。
具体的には、信頼できるカウンセラー、セラピストを見つけることが望ましいでしょう。
友人や恋人、家族でないほうがいい…。
自分が自由に見たこと、聞いたことについて発言しても、批判されない、ジャッジされないという
安心感を得られることが大切です。
でも、だからと言って、その人相手に、
「何をしても、何を言っても許してよ、認めてよ」という幼児性、暴力性がOKというわけではありません。
そこで、心得て頂きたいのが「Iメッセージ」です。
私は「…」と思う。
私は「…」と感じる。
相手を主語にするのではなく、状況を描写するのでも、善悪を判断するのでもなく、
自分を主語に語ろうとすると…
自分は今、何を感じているだろう?と、
自分のこころ・気持ち・感情に焦点があたっていきます。
そう、これが第2ステップ「感じる」です。
★ ☆ ★
ただ、安心安全な場を得たからといって、
すぐに「自由に感じる」ことを手に入れられるわけではないでしょう。
繰り返す。
馴れる。
が大切です。
Iメッセージに慣れることも大切です。
ですから、普段から
「あ、私は今、目の前のこの状況を怖いと感じている」
「あ、今、私はこの人のこの言葉にちょっと傷ついた、悲しい」
というふうに、こころの中でもIメッセージで、自分の想いに焦点を当てるようにしてみましょう。
他人の言動や社会の状況に対する「正しいor間違い」「ふさわしいorあり得ない」を判断するのではなく、です。
私たち日本人は、日本語特有の「主語が省略される」中で、人と関わり、暮らしてきました。
それゆえに、自分が「感じる」ことをなかなか自覚しづらいという傾向があります。
「感じる」ことと「考える」ことがごちゃまぜになっていることが多いのです。
次回は、思考と感情の違いに焦点を当ててみたいと思います。
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