26歳、NYでの出逢い その2

その1は ⇒ こちら

 

リフレクソロジーを学んで、
資格はとったものの、
すぐそれを仕事にしようとは思わずに
それまでの会社に勤め続けていました。

 

なぜか?って、まだ早い、

もうちょっと別の世界を見てからでも遅くないと思ったからです。

 

そうこうしているうちに、
私は、リフレクソロジーを学んだ会社の求人を目にするのです。
それも編集、ライティングという職種。
未経験OKではないですか。

 

これだ!と思いました。

 

目の前のことにとことん一生懸命になれちゃう性分だから、
興味があることを探究することをそのまま仕事にしたかった。

 

ああ、私の希望が現実になる!
「これだ!」と思った時の
エネルギーって半端じゃない…ですね。

 

過去を振り返っても、「あ、これだ!」に出逢ったときって
私の思い込みの強さに神様が根負けするような形で
その願いが現実化してきたような気がします。

 

この転職も、実は、当初会社側の入社要請時期と
私の離職可能な時期が折り合わず、
一度ご破算になったのです。

 

でも、その後、いつでもいいから入社可能なときに
来て欲しいと言われまして。

 

結果的に私にとって
一番都合のいい形で転職が叶いました。

 

その2年間は、本当に多くのチャレンジをさせてもらいました。

今だからそれを「チャレンジ」と言えるのですが、
当時は、できないことをできないと言えないし、
知らないこと、わからないことをダメだと思っているし、
何かを成すためには、自分でがむしゃらにやるしかやり方を知らないから
肉体的にも精神的にも本当にキツかった。

 

今だったら、その大変さをもっと余裕をもって
楽しめたのではないかと思うのですが、
それでも、喜んだり凹んだり、怒られたり支えられたりして
北は北海道の網走から、南は鹿児島、ハワイまで取材に行ったり、

本や広告原稿、テキストやビデオ教材の制作に奔走していました。

 

結局、社長と衝突したことで
その会社を辞めることになります。
あとから発覚するのですが、
そのとき、お腹に息子がいたのですね。

 

そんなおめでたフィーバーのおかげで、
衝突したことは忘れられ、
私はやりたかった仕事は最後まで仕上げて、
その後もフリーランスの立場で
仕事を続けさせてもらうという理想的な形で円満退社し、
フリーランス・ライターとなったのです。

 

でも、その「社長との衝突」がその後の私に
大きな課題を与えてくれることになりました。

 

=続く=

 

つづきは ⇒ こちら

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