土曜日から、AC・リボーン勉強会初級クラスが新たにスタートしました。
皆さんが語ってくださった「参加動機」がありがたく、
嬉しかったので、感謝を込めてここにご紹介させていただきます。
おはなし会での「自分の家(=内側)に誰が住んでる?誰を住まわせている?」
という真帆さんの問いかけに大いに考えさせられた。
私は私の家に親、世間、常識を住まわせているなと思った。
だから、自分の家に自分を住まわせたいと思って参加を決めた。
そこそこ普通には生きていけているわけだけど、
家庭での在り方が今の自分に影響しているだろうことはうすうすわかってはいて、
いつかそれを見つめなきゃとは思っていた。
自分で納得して成長していきたいと思って参加した。
自分に向き合うことを、一人でやる修業的なイメージで捉えていたけれど、
最近、さろん楓においても、他の場所でも人と接することで自分がわかると
思うことが多く、やはり自分に向き合うということは人の輪の中に入ること
なんだと思い至り、その環境に身を置いてみようと思った。
皆さんが語ってくれた原家族(=生まれ育った家庭)に共通していたことは、
「両親の仲が悪かった、仲が決してよくなかった」ということです。
だからといって、そこには「虐待」「暴力」「ネグレクト」というような言葉もなければ
そんなニュアンスもかけらも感じられない。
けれど、喧嘩ぐらいどこの家だって普通にするでしょ、と一笑に付すことではない。
子どもの目に「仲が悪い」と映っていたということは、
その子にとって、その家庭は「戦場のように感じられた」ということ。
ここがとても重い。
そう感じた子どもは、緊張と恐怖の中、過剰適応するしか生きていく道がなかった。
大人になった今の認識、理解と当時の子どもの柔らかい脳で捉えた全貌はまったく違う。
勉強会では、そこを大切に学んでいきます。
その喧嘩の度合いや頻度を客観的に論じる意味はないに等しいのです。
兄弟構成やその他理解者の有無などでまったく変わってくる。
つまり、親の責任を問う概念ではないということ。
その子がどう感じ、どう捉えたのか?
世界をどんなところだと認識したのか?
そう、ただあなたが何を感じて生きてきたの?
なにを恐れ、なにを求め、どうでなければならないと思って生きてきたの?
なにをひたすら頑張ってきたの?
なにを証明したかったの?
なにを認めて欲しかったの?
なにをわかって欲しかったの?
そんな心の棚卸しをして、
必要であれば、これまで抑え込んでいた想いを口に出し、
必要であれば、育っていない自分を育て直す。
そんなふうに進んでいく「自分に向き合う」勉強会です。
月1回、同じメンバーでまずは半年間学び合います。
客観的に自分を見つめるチカラをつけ、自分で気づき、納得して、自ら望んで、成長する。
そのためには
①案内役(私、真帆がつとめさせていただきます)
②鏡になる仲間たちの存在
③ステップをちゃんと踏むこと
が必要です。
この勉強会の次回開講は、9月平日クラスを考えています。
来月終わりぐらいから
説明会にあたる「生きづらさ、生きにくさを考えるおはなし会」を開催しますね。
必要な方に届きますように。
コメント