「自分たちで、お互いを癒し合えるって、すごい力だし、共感って、言葉って…素敵。」

さろん楓 真帆です。

いつもありがとうございます。

 

AC勉強会やさまざまな「おはなし会」、ふるゆさセミナーも同様ですが、

さろん楓では、自分が語ること、それと同時に、人の話を聴くことをとても大事にしています。

 

話すのも難しいけれど、

実は、聴くって難しい。

 

黙って、ちゃんと聴いているようで、人は、意外と人の話を聴けてなかったりするのです。

誰かの一言が引き金になって、自分の頭の中で自分のストーリーが始まってしまったりすると、

もう人の話は耳に入ってこない。

 

なぜ、それができないか?

それが彼女の体験談からわかるのではないかと思います。

シェアリング方式で、参加者どうしお互いの話を聞くということが、

自分の内側に、静かに大きな効果を生んでいました。

 

自分の話を、だれかが聞いてくれるって、すごいこと。

 

続けること約1年、シェアの場で話すことについて、私が経験しながら思うのは、

自分が話すときは、緊張したり、沈黙したり、上手く表現できなかったり…

でも、どれも大丈夫で、どれだけ身のある話ができたか、どれだけ人と響き合えたかも、そんなに重要ではない…

 

“自分の内面を、シェアの場で話そうとする試みを自分のペースで繰り返すことと、

それをみんなにただ聞いてもらう場面を、何度でも体験すること“が、

「話して放す、癒し」につながってるんだ、ということです。

 

AC勉強会やお話会で、自分の話す番になると、

どんなに拙い表現であっても、話を終えるまで、みんなは、ただ聞いていてくれる。

 

それが、はじめの何か月かはプレッシャーで、緊張しました。

自分はみんなにどう思われるだろう、自分はこの場にふさわしいのだろうか、

とビクビクしながら、だけど自分をよく見せたいと虚勢を張っては、勝手に疲れて帰りに自己嫌悪していました。

 

「私は、ここにいていいのかな?」「私はこの場に受け入れられるだろうか?」と、

ほかの場所でもするように、私はさろん楓でもしばらくは周りの顔色を伺っていました。

 

半年ほど経って、聞いてくれているみんなの様子に意識が向きはじめました。

ただ聞いてくれるというよりも、

本当は、言葉以外の何かで…みんなの表情や間などを見ると、

あぁ、自分の話を受け取ってくれている!とわかってきたり、

だれかが話しているときにも、温かいもの、優しいもの、やりきれない思いなどが自分のなかに現れて、

これ、共感っていうんだ…!と体感していったことで、

安全を確認したくなる不安や、人のなかにいる緊張感が、少しずつ少しずつ、解かれていったように思います。

 

今では、自分が安心して落ち着いているのがしっかりとわかります。

さろん楓でみんなといて、自分がずいぶん自然でいられることに、何よりほっとします…

 

日常でも、最近は自分であまり不安や問題をこしらえなくなって、かなり身軽です。

 

それで、はっとしました。

 

これまで、見ぬふりをしてぱんぱんに溜めてきた感情の堆積が自分のなかに絶えず存在してきたらしいこと。

思いつくまま自分のことを口に出していったことで、でも今はその嵩が徐々に減っていて、

その分、余力が生まれているということ。

子どもの頃から何をするにも動くのが面倒ですぐ疲れていたのは、

そんな荷物を抱えていたり、あれこれ頭で考えてばかりいたせいの気がする…

 

今までずーっと緊張状態だったのも、自分が自分自身にも明かさない急所に、触れないよう警戒していたからなんだ…

 

まずは、口から少しでも出せたのは、受け取ってくれる人がいたから、出せて、手放せたんです。

 

人って本当はとても優しいんだな、と思います。

互いに自分を映し出すふしぎ…

自分たちで、お互いを癒し合えるって、すごい力だし、共感って、言葉って…素敵。

出せると、人の話が集中して聞けるようになってくる、と知りました。

人の話に同感できる部分はあっても、自分と接点が見つからない話だった場合、

そこに共感するって、どんなことなのかわからず、以前はただじっと聞いているしかできなかった。

 

そうだ、自分の内面を話していくとき、自分自身が、まずそれを聞いてた…

自分で自分の話をするということは、ただ、あるままの事実として一人の人間として自分のことを尊重しながら、

自分を認めていく作業だったんだ。

 

同じように、人の話も、また人と自分との違いも、自分のことも…思い込みのフィルターを通さずに、

ただ事実として受け取る基盤が、自分のなかにできていてほしい。

 

今まで、かっこわるい自分とか卑怯だったり欲張りな自分を、人前にさらしてしまうのが怖くてしかたなかったけれど、

それだけじゃなくて、人に愛されたい自分、人と仲よくしたい自分を、自分にも出すことが、できなかった。

人に拒絶されるのが怖いからで、自分に対しては、恥をかきたくないから。

そして、そんな気持ちにも気づきませんでした。

 

だけど、いま、子どもの私の素直な気持ちが、戻ってきてるんです。

その感じられることも、話して放すから生まれた力なんだと思います。

これは、私にとって、本当に幸せなことです。

 

尊重する、ただ事実を認める…って、自分が話すとき、実は、ずっとみんなが私にし続けてくれていたこと!

きっと、はじめからもらっているもの…

 

私は、やっと自分で愛を受け取りました。

真帆さん、みなさん、ありがとうございます。

愛を込めて

自分の中にへいあんを創りり出すために。

 

「出す」こと、してみませんか?

 

さろん楓シェアリング、毎月開催しています。

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