ナラティブ・アプローチ

さろん楓 真帆です。

いつもありがとうございます。

 

ナラティブ・アプローチとは、

聞きなれない言葉だと思いますが、

さろん楓がいちばん大切にしていることです。

 

ナラティブnarrativeとは、「物語」「語り」を意味する言葉です。

 

家族療法、医療、看護の現場で、社会福祉の世界において、

すなわち「ケア」や「援助」において、

この「ナラティブ」が果たす役割の重要性が

注目されるようになって久しいですが、

なかなか定着しない言葉、概念かもしれない。

 

ナラティブ・アプローチについては、

この本に詳しく書かれています。

物語としてのケア—ナラティヴ・アプローチの世界へ (シリーズ ケアをひらく)/医学書院

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セッションをしていて、いつも思うのは、

私たちがどれだけ人と比べることによって悩んでいるか、です。

 

誰もが過去〜現在〜未来という時間の中を生きていますが

「今」という時点を切り取ったときに、

人と比べてどうか?という客観的な目線で

悩んだり、罪悪感に苛まれたり、自分はダメだと判断したりしてしまう。

 

むしろ、大事なのは主観的な目線なんです。

「私」の物語が、どう流れているか?

「私」が「私」をどう感じ、どう理解し、どう評価しているか?

 

「横」すなわち「人」を見るのではなく、

「縦」すなわち「自分史」を見ることが大切なのです。

 

私は、ライターとして文章を書いていた時代が長いのですが、

ある方の物語を書くとき、敢えて、文章にはしない場合でも、

どんな場所で生まれ、育ち、何をどのように見て、暮らしてきたか?

何に悩み、何に憤り、何に歓び、何を求めてきたか?

をいつも訊ねていました。

 

そんな背景があってこそ、その人の今の活動がある。

そこへ至るを原点を理解しなければ、その活動、主張を文章になんぞ

表現することはできないからです。

 

その固有の物語が紡がれるとき、

その人自身が、自分の主張、活動に自ら納得する。

 

それは、その人の生まれた意味だったり、魂の望むところだったり、

使命につながる物語だったりします。

 

これ、一人ではできない。

自分が自分を客観的に眺めるのは限界があるからです。

だから、自分の物語を知るために、確認するために、必ず他者が必要なのです。

 

今、セッションをして、それを文章に表すわけではないけれど、

「そんな経験をして、そんなふうに悩み、そう思ったから、

そうやって生きてきたよね、そして今のあなたがある」

そんなふうに物語が流れ出すとき、

私はなんともいえない喜びを感じます。

 

人と比べることよりも、その物語を共有することが自分を愛する道。

 

だからね、過去のトラウマ、傷つき体験がその人の人生を創っているともいえる。

トラウマや思い込み、消せばいいというものではない。

むしろ、理解し尽くすことが、今を活かす道、そう考えています。

 

そんなふうに人を理解し合えるのも、いいものです。

それがAC勉強会の醍醐味のひとつだったりもする。

 

ヒロインが最初からしあわせだったら、

物語はちっとも面白くないから、泣いたり、笑ったり、悩んだり、怒ったり、

一筋ではいかないことを、人はいろいろと経験するのだと思います。

 

クリスマス、年末年始、もう人と比べて悩まない。

あなたがヒロインのあなたの物語、それはきっと夢中になる物語。

一緒に紡いでいきませんか?

 

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