私は『幸福』『しあわせ』という言葉に惑わされいたんですね。
幸福とは、それはそれは大きくて確固たるもの、というイメージがありました。そして、幸福を感じた先には不幸が待っているのではないかという恐れ。
幸福とは長い人生の中に1度きりの儚いもの。(ん?これは、どこでスリ込まれた?)
だから、あえて感じないように。そして不幸でいた方が「いつか私は幸福になれる」と希望を持つために、
無意識に心と体にチカラを込め、ただただ頑張るしかなかったのかもしれない。
こんなことしてたら、そりゃあ 疲れて、体の感覚も鈍くなり 動けなくなりますよね。
まほさん、おっしゃってましたよね。「(体の)チカラの抜き方がわからなくなるのよ〜」
それ、わ・た・し…(汗)
だって、心の余計なチカラを抜かないと、体のチカラも抜けないですもんね。
(ムム?3daysにした意味がなんとなくわかったぞ)
そして、意味は同じなのに
『幸福』という言葉は私には偉大過ぎていて『しあわせ』はもっと身近なもの、頑張れば掴めるもの。そんなふうに思ってた気もします。
でも いつも「しあわせとは、なんぞや?」と思っていた。
だから、まほさんの「しあわせとは状態のことではなく、感情なのよ」
という言葉に反応しまくるわけですね〜。
そしてその中身は、5つの欲求…。
「こんなこと、誰も教えてくれないよね!」と、
なぜだか私は怒りにさえ代わりそうなくらい(ん?なんでだ?多分 薄々気が付いていたからか??)
言われてみたら、そうですよね〜…と頷くばかり…。
欲求なんて、求めてはいけない。とどこかで思っていたんでしょうね。
これで私の心の余計なチカラがまた抜けた時だったかもしれません。
私の場合、怒濤の2週間の話をまほさんに聞いてもらえた段階で、
心のチカラもだいぶ抜けたから、余計に欲求の話がスーッと入ったところもあったかもしれないですね。
第2日目にまほさんのお話を聞いてる中での言葉、
「しあわせとは もっと静かなもの。そして、自信も。」に
私は、静かに納得できた。
ここまで書いていて、はたと気が付いたこと。
愛情も静かなものであれたらいいのに…と。
子供に対する愛情は、静かなものかもしれない。しかし、親に対する愛情は違う。
怒りや寂しさがあるせいか、素直に受け取ることも与えることもできない。ギスギスとしたもの。
そしてなにより、パートナーと思う男性には静かな愛情ではいられなくなる。
異性が故に避けられないのか。
ここまで書いて また気が付いたこと。
このWSは、しあわせに興味が湧いて受けるも勿論良いのですが、
しあわせなんて程遠い…と何かに捉われ悩んでいる時にこそ、
大きく変化できるきっかけになるのではないですかね。
なんとなく そう思いました。
今回 参加して 本当に良かったです。
ありがとうございます♪
ちゃんと望んで、欲して、叶えていきましょう♪ by ふなだまほ
感想をありがとうございます。
5つの欲求としあわせの関係。
この概念を知っているか知らないかで
随分心持ちが違ってきますよね。
振り返ってみると、
私自身、10年前にこの概念に出会ったから
人と自分を比較することなく、
30代を生きてくることができたのかなと思います。
だから、皆さんにも伝えなくては。
ちゃんと望んで、欲して、それを叶えていきましょう。
もう、しあわせを感じる許可を出せたはずだから♪
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