さろん楓ふなだまほです。
いつもありがとうございます。
私の生まれは、神奈川県の平塚市。
中学2年生から川崎市に引っ越してしまったから、
家はもうない。
中学は、横浜の私立に通っていたから、
つながっている友達もいない。
だから、平塚は私にとって、ずっと遠いところだった。
なんとなく、封印したい過去めいたところもあったのかもしれない、
と今になって思う。
昨年、春だったろうか、
生家のあったところやその周辺、小学校を訪れた。
大好きだった海辺の公園にも行ってみた。
7月、七夕祭りにも行ったりしてみた。
昨年夏から、亡き父上の命日に、
父上の思い出深い平塚でライブをやっている友人がいる。
8月8日、去年も今年も足を運んだ。
今年の夏は、小学校時代の塾の同窓会があって
知っているようで知らない昔の知人たちと
30年の時を一気に埋められるんだということが証明された。
湘南の地に、平塚に私の居場所はあるんだって思えた。
私は存在していていいんだ。
ちゃんと存在していたんだ。
30年前の私を認識している人がいるという事実から
自分で自分を赦す、そんな感覚。
だから、私が大好きだった海辺の、
あの頃とまったく変わらない公園と
これまた通っていた教会の間にある
白い綺麗なサロンに興味を持ったことも
そこを訪れたことも必然だったのかもしれない。
最近は、自分を俯瞰したいとき、ふらっと東海道線に乗る。
心の距離感が縮まると
物理的な距離感はいとも簡単に飛び越える。
だから、平塚はとても近い場所になった。
そう思えていることが嬉しくて。
満月の午後、平塚の地におりました。
振り返ってみると、
こんなふうに想定しないことが起きるとき、
必ず誰かの存在がある。
人の動きがある。
人とのご縁がある。
そこに、自分の意思と選択が絡まりあう。
縦糸と横糸が重なり合って、
織られていくタペストリーのように。
★ ☆ ★
さろん楓では、今日もタペストリーが織られています。
からだ、こころ、食の中にある
小さな「あり得ない」を「ある、ある!」に。
「不可能」を「可能」に。
自分がもっているいろんな「あり得ない」が変わって
「なんだか心地いい」が増えていく。
螺旋階段を一歩一歩踏みしめて登っていると
いつの間にか、ずいぶん景色が違って見えることに気づく。
あるときはワープしたりもする。
そんなふうに時空を旅してまいりましょう、これからも。
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