大人の本気が子どもを動かす

さろん楓ふなだまほです。

いつもありがとうございます。

 

先日、小学校の合唱発表会を見てきました。
この学校、毎年合唱発表会があります。
ものすごくエネルギッシュに指導してくださる音楽の先生がいるんです。

 

小学校2年生や3年生でも「え?!」と驚くような声を出します。

高学年になると、ソプラノ、アルトとパートを分けたうえで、さらに複雑な輪唱をやる。

 

おそらく、標準レベル以上のものをやっているのだと思う。
だから、子どもたちは歌うことをナメていられない。
つられないように、必死でくらいついて歌う。

 

もちろん、なかには口をほとんど動かしていない子もいる。

でも、5〜6年生の男の子たちが一生懸命歌っている姿には

心を動かされるものがあります。

 

明らかに、先生の本気度が子どもたちをぐっと引き上げているのですよね。

その日、一緒に見ていた母(注:編み婆ですね)が
「この先生の指揮で歌ってみたいわ」って言っていました。

 

彼女は長いこと合唱をやっていたのですよね。
うん、そう思うのはなんとなくわかる。

 

人と人は感応し合いながら生きていますね。

 

人の本気に触れると、
自分の本気も出てくるんですよね。

 

★   ☆   ★

 

子どもはものすごくシビアに大人を見ています。

 

この週末の続AC勉強会でも、
「お父さんは私たちに○○はするなって言っているけど
自分はやっているじゃない」と
幼稚園ぐらいのときに思っていましたね、という話が語られました。

 

幼い子どもが「なんかこの人嫌だ」って、
親に対して軽蔑の念を抱くことだってある。

 

言葉にはならない。できない。しない。
でも、幼児がそうやって大人を見ているのです。

 

私もそうだった。
そして、あなたもそうだった。

 

そして、今、私たち大人はそうやって見られている。
親であろうと、なかろうと。

 

これは、言ってることとやっていることが違ってはいけない、
立派な人でなくてはならないということではなくて、
それだけ、子どもたちは「親博士」「大人博士」なのだということを言いたいのです。

 

それだけダメなところさえもわかってもらってるんだから、
それ以上に、いいところ、本気なところもちゃんと
子どもたちに見せちゃおうよ、ということです。

 

大人の本気って、
何も「こうあるべし」という精神論や

一生懸命に働く「親の背中」だけではない。

 

真剣に遊ぶ姿、一緒に楽しむ姿を見せたいなと思うんです。

見せてあげて欲しいなと思うんです。

 

最近、ふと思いました。
かつて、家族で過ごしていい思い出になっているシーンって、
父が自ら心底楽しんで遊んでいるときだったなって。

 

そういうときに、私自身、無条件に楽しかったのです。

 

家族とは、変化していくもの。

離れていくもの。

 

でも、そうしたこころの原風景は

やっぱり自分を温めてくれる。

 

大人って楽しいよ。
人生って素敵だよ。
世の中って面白いんだよ。
生きていくのに値するところだよ。

 

そういうメッセージこそ、次世代に伝えていきたい。
そのためには、私たち大人の楽しむ本気度が必要。

 

たとえ、言ってることとやってることが違うような
ちょいとダメなところがあっても、

果てしなくできないところがあっても
本気で一緒に遊んでる姿、楽しんでる大人の姿を知っていれば、
むしろそれは安心材料になる。

「あー、ダメなところがあっても大丈夫なんだな」って。

 

★   ★   ★

 

し・か・し。

 

「産んでくれて、育ててくれてありがとう」を
歌詞の中で言わせるのは、ちと違うと思うのです。。。

 

私たち世代が「飢餓に苦しむアフリカの子供たちのことを
考えたら、あなたたちはしあわせなのよ、感謝しなさい」
と感謝を強要されてきたのと同様の構図です。

 

感謝は「する」ものじゃない。
「湧いて」くるものなのですから。

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