【AC勉強会】「世界は自分」ということが、わかってきた

勉強会2回目の後、日々いろいろな思いが巡ります。

 

最近、思い込みの世界から、一歩出ることができた。
「世界は自分」ということが、わかってきた。

わたしが思い込みで作り上げてきた信念の正体、やっとわかった。

自分のなかに潜む、二極的な価値観。
良い悪い、プラスとマイナス‥‥

でも、無自覚でした。

それで、自分を大抵ダメな方へ振り分けてました。
つらかった!
後ろめたさから、いろんなことにエネルギーを回した。

ああ、わかってよかった!!

また、わたしは、自分ではない何かになろうとしていた。
特別なものになろうとしていた。そうならないと、
自分のままでは不完全だと思い込んだ。
でも、生まれただけで良かったとは、、、
真の意味をたった今まで知らなかった。

 

自己信頼。これがわたしの最重要課題だと思います。

人と接する場面では、
自分の立ち位置からすぐふら〜っと離れて自分がお留守になり、
人に同化しようとする癖、
人に確認しようとする癖が出ます。
知らず知らず、他者にすがろうとしている。
承認欲求が、認識してもなお、顔を出します。

 

そして、「入れ子式オーラ」から脱する!
自分で自分を認める!

 

肚で話していない気持ち悪さをふと感じるとき、
わたしは、もっともっと、自分の言葉を発したい、
自分の声に耳を澄ませたいと思う。

自分の声、言葉をこの手に取り戻す道です by ふなだまほ

「わたしは、もっともっと、自分の言葉を発したい」

 

この言葉は、皆さんにどのように受け取られているんだろう?

とふと考えることがあります。

 

誰だって自分を自分だと思ってるし、
自分の声を出してきたし、
言葉を話してきてる。
それに間違いはない。

 

でも、そういう意味ではないんですよね。

 

グラウンディングと同じように考えればわかりやすいかしら。

 

誰だって、この地球上で足が地面から浮いている人はいなくて、
地面に立っている。

 

でも、地に、現実に足がついていない…
ふわふわしている、ふらふらしているってことがあるわけです。

 

声、言葉も同じです。

 

私自身は、10年前、
あ、これが私の本当の声だ、と気づき、
やっと自分の言葉を手に入れたと思った瞬間がありました。

 

もちろん、それまで自分が自分の言葉を発していなかった、
自分の声を出していなかった
なんて思ってもみませんでした。

 

でも、そうなってみてわかるのです。

 

それまで、周囲の人に合わせたり、
これが期待されているだろう、望まれているだろうと
勝手に思い込んでいた言葉を、声を発していたことに。

 

そうやって自分を取り戻していくたびに、
爽快さと共に、どれだけ自分が縮こまっていたかという
事実に直面する…。

 

ここで本当の喪失感を味わうのですね。

 

自分を憐れむしか、泣くしかできない日々…。

 

でもね、その積み重ねが、いつの間にか、
他者に共感できる自分を新しく生み出している。

 

アタマで割り切るのではなく、
ハラで受け止めることができると、
気がつくと、可哀想な自分(=被害者、犠牲者)ではなくなっている。

 

心の傷が勲章に変わるとき、です。

 

こんな道をご一緒できる方が増えてきていて、
心より嬉しく思っています。

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