生きていくための料理
「あなたって、そんなにお料理が好きだったかしら?」
80歳近くなった母が言う言葉です。
お料理好きな女性とは、学んだお料理を作って、皆に食べてもらうのが喜び。
一般的にそんなイメージがあるのでしょう。
確かに、私は「趣味は料理です」というような女の子ではありませんでしたから、母の言わんとすることはよくわかります。実際に、料理が趣味と思ったこともなければ、そう言ったこともありません。
栗原はるみさんをはじめとする料理研究家の存在にスポットライトが当たり、フードコーディネーターやテーブルコーディネーターという職業が脚光を浴びるようになったのは、私が学生の頃だったかと記憶しています。そんな職業に憧れを抱いていた友人たちもいましたが、私は、正直なところ、全く興味を持っていませんでした。
でも、その頃、私がひたすらに研究していたのは、何をどうやって、どのぐらい食べたら、美味しいものを食べたい自分の舌と自分のからだを満足させ、体型を保ち、眠くなったり、だるくなったりすることなく、調子をキープすることができるのか?ということでした。
そう、私は、ずっと生き(=活き)ていくための料理、命を繋ぐ料理を追求してきたのです。
20代の頃の私は、どこかが悪いわけではありませんでしたが、いつもパワーがなく、疲れやすく、友人からは「一年の半分ぐらいバイオリズムが低下しているよね」と言われるような人でした。だからこそ、どうしたら自分の心身のパフォーマンスをよくできるのか?ということがずっと大きなテーマだったのです。
そして、同時に、これからの自分は、結婚したとしても、しなくても、たとえ子どもを産んだとしてもずっと働き続けていくだろうから、どんなに忙しくても、シンプル、ミニマムに、お金をかけなくても、自らと自分の大切な人たちを充たせる食事をさっと作れる人であろうと友人と「マスター・オブ・ライフ」になろうと切磋琢磨し合っていました。
私の料理の原点
阪神大震災が起きたのは、そんな折の1995年1月。春から社会人になるというときでした。私は関東にいましたから、直接の被災体験はありませんでしたが、テレビや新聞で知る惨状に戦慄しながら、秘かに決意をしたことがありました。こんなことが自分の周囲で起きたときに、私は、非力な女だけど、限りある食材でごはんを作って、人々に活力を与えることはできるのではないか。そうしたら、その人たちがきっと世の中を動かしていくだろう。それをできる人になろう、と。いざというときのために、今も七輪と炭を完備しているのはそのためです。
その当時、私の生まれ育った家庭では、今で言うところのDV(ドメスティック・バイオレンス)がありました。私は自分の身の安全を得るために、逃げるように家を出て、部屋を借りて独立したという経験があります。21歳のときです。そのとき、自分で作ったごはんが何だったのか記憶は定かではないのですが、誰からも脅かされない安心安全な環境でごはんを食べられることが人間にとってどれだけの力になるか。その実感と、なんとも言えない安堵感は忘れることができません。「ごはんが大事」という私の想いは、そこから湧いてきていることなのだろうと思います。
だからこそ「ハレのご馳走、グルメやエンターテイメントとしての料理ではなく、生きていくための生命力と活力を与える『ケ』の料理」。最低限の道具や食材でどれだけ美味しい料理、人を元気にする調理ができるか?それが私の料理の原点なのです。
実体験する場が必要だ!
「手に職をつけなさい」104歳で大往生した祖母から、私はことあるごとにそう言われて育ちました。「自分に技術があれば、人生にどんなことが起きても生きていける」とは、戦時中に夫を亡くし、洋裁、和裁で身を立て、子どもたちを育て、明治、大正、昭和、平成と4時代を生き抜いてきた祖母の実体験から出た言葉だったろうと思います。
また、父も脱サラして独立して仕事をしてきたフリーランサーだったため、私もいずれ独立して仕事をやっていくのだろうというビジョンを当たり前のように持っていました。ただ、既存の専門職に心惹かれることはなく、20代はほぼずっと会社員として働いていました。
これをやっていこう!という対象に出逢ったのは、2週間ほど出張で滞在していたNewYorkの大きな書店『Barnes & Noble(バーンズ・アンド・ノーブル)』ででした。『THE COMPLETE ILLUSTRATED GUIDE TO REFLEXOLOGY』という本に出会い、足裏のマッサージが学問として成立していることを知り、20代半ばの私は衝撃を受けます。足裏の部分がからだの各臓器に反射投影されているという「からだとからだのつながり」は、食と体調のつながりを独自に追求してきた私にとっては、実に、ゾクゾクするエキサイティングなものでした。その本をその場で購入し、読み込み、帰国して調べてみたら、なんと技術を学ぶスクールが既に日本に存在しているではありませんか!そして、さっそく、そのスクールで技術を習得するわけですが、いきなりこれだけの技術で独立開業するのは時期尚早と判断。ただ、縁あって、私自身が学んだスクールの運営会社で編集、マーケティングを担当することとなって転職を果たし、癒しの業界の最前線を走っていくことになります。
塩で甘みを引き出すマクロビオティック料理に魅せられて
結婚、転職、妊娠、独立、出産、育児を経て、私は以前から気になっていたマクロビオティック料理を学び始めます。そして、塩で甘みを引き出す調理法や野菜の丁寧な扱い、陰陽の世界や食とからだの関係性にすっかりと魅せられていきます。そんな心身を満足させる「食」への研究、探求心と、「あったらいいな」「いや、癒しの実体験の場こそ必要だ」という想いが掛け合わされて「さろん楓」設立という形になったのが、私が34歳のときでした。
当時は、ハンドマッサージと透視リーディングとマクロビオティックの食事をセットにした独自のコースをを自宅サロンにて提供していました。料理がまったく苦にならず、もてなしとして当たり前に人に食事を提供するというのは、当時も、今も変わらない私の真実です。けれど、ストイックにマクロビ料理を作っていたその頃、仕事、家事、育児も自分の裁量でやることができていたため、不満はありませんでしたし、我が子と過ごす時間もかけがえがないものでしたが、やりたいことが多過ぎてとても忙しく、睡眠時間を削って動き続ける毎日は、今考えると楽しさが欠けていたように感じます。
肉、魚、乳製品を摂らず、野菜と豆類を中心に食すマクロビオティックの食事を美味しく食べてはいましたが、冷えや便秘、からだが硬いという悩みも依然として抱えていました。その当時の私は、明らかに「何か」を求めていて、そのために、アーユルヴェーダとヨガを学んでみたり、ダンスセラピーに参加してみたり、チベット体操を学んでみたり、ファスティング(断食)をしてみたり、ホメオパシーの治療を受けたり、ありとあらゆる学びに投資をして、模索を続けていました。ますますオーガニックや無農薬、無肥料の自然栽培の食材に傾倒しつつも、最上のものを求め続けることに大いに疑問を感じ始めていた頃でした。
信じられない背骨の軽さ!
そんな中、私は、故吉川隆啓先生による日本人のための「和道ヨガ」と治療家前田大志先生による「コアマッスル整体」を体験することで、初めて真にからだが弛むという体験をします。信じられない背骨の軽さでした。下半身がきゅっと締まってまとまり、上半身がふわっと弛んだからだのバランスの心地よさを知って、探していたのはこれだ!この感覚だ!と唸り、その瞬間から、私は、ヨガを始めとする一切の学びをやめました。そして、施術を受ける人も、施術をする人もそのからだバランスを実現できるような施術として「ふるゆさ®整体」を体系化することに成功したのです。
こうして、日々「ふるゆさ®整体」の施術をすることで、何よりもまず私自身のからだが変わってきました。自分自身の中に、何か弾むようなチカラがある。自分でエネルギーを生み出していけるという感覚、目には見えないけれど確かにそれがあるという感覚が生まれてきたのです。今まで、自分のからだをまったく使いこなせていなかったんだと思いました。そのおかげで、私は本当にパワフルに活動することができるようになりました。アタマで知っていたこと、わかっていたこととからだの感覚がやっと繋がったのです。その結果として、消化するチカラも伴ってきて、マクロビオティックの食生活を続ける必要がなくなってきました。
それがお肉であれ、お魚であれ、野菜であれ、食材の生命力をそのまま自分のエネルギーに変換する。それが本来の「食べる」ということであり、食べるとは、命の移し替えであるということが腑に落ちたと同時に、それまでセオリーを学んだばかりに、理論に縛られて、恐怖で肉類を食していなかったことにも気づきました。
なぜ、セオリーを学んだのか?といえば、それに縛られるためではなく、セオリーを使いこなすため。私自身が、そもそも怖がりでアタマでっかちなタイプなので、自分自身を振り返ってよくわかりますが、人生をよりよくしようと「食」や「からだ」のことを学び始めて、「正しさ」という沼に足をとられることは実に多いものです。
アタマは幸福を求めます。それも自分が信じたセオリー通りの幸福を、です。けれど、からだが求めるのは健やかさです。私たちのからだは、宇宙のごとく、銀河のごとく壮大なもの。学んだセオリー通りに従ってくれるようなたやすいものではありません。
だからこそ、お伝えしたいのは「正しい食事よりも、自分史上最も快適になる食事」への道。そのために調整するチカラ「調理力」です。
「正しさ」よりも大切なこと
そして、ますますスピードアップして忙しくなっている現代、女性たちは、真綿でくるまれるかのごとく、毎日の調理に対してよくわからない苦しさを抱えているように感じます。
でも、料理は女性の義務でもなければ、価値でもありません。調理は、老若男女共通の生きる科学だと思います。ただ、調理を楽しむという経験が少ないためにメニューの発想が広がらない、からだに無理をかけて調理をしている、調理するには、からだが疲れ切っている、道具が適切でないことから、頑張るがゆえに、作った料理への報酬をつい求めてしまうがゆえに満たされないむなしさを抱えていたり…。そんな日々の料理ストレスの原因は必ずあり、処方箋も必ずやあります。
「ハレの料理ではなく、ケの料理」
「料理ではなく、調理」
「愛情ではなく、愛」
これらのフレーズが腑に落ちることで、こころもからだもきっと救われるはず。
そして、ますます楽しく調理し、美味しく食べる毎日を創っていくことができるでしょう。
ご自身の人生を支える生命力、活力を引き出す習慣作りのお手伝いができれば幸いです。
出身地 | 神奈川県平塚市 七夕の町です |
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出身校 |
横浜フタバ中・高等学校 東京女子大学現代文化学部 |
生年月日 | 9月6日 |
血液型 | おおらかなO型、おおざっぱなO型 |
資格 |
★RAJAでリフレクソロジスト資格 ★オフィスTヒーリングセンターでヒーリング・透視リーディング・カウンセリング過程修了 ★穀物菜食料理研究家大森一慧先生に師事 ★ニーマルヨガでアーユルヴェーダ・ヨガティーチャートレーニング修了、ヨガインストラクター
ぐらいで、実は、あまり資格をもっていないです。
ヒーリング系資格取得のための教材を作っていた経験があり、アロマやハーブなどの自然療法やからだのことに関しては 取材し、学び、教材を書いたことが資格以上の蓄積となっています。
資格よりも、自然の法則に学びながら、自身の実践、観察に基づいて体感・体得したことを重要視していることが、さろん楓のオリジナリティにつながっています。 |
趣味 | 書道・踊り・おにぎり作り・スナック真帆 |
特技 | 散らかす(笑)・ふるふるゆさゆさ |
休日の過ごし方 | スナック真帆・散歩 |
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