さろん楓 真帆です。
いつもありがとうございます。
ブログ、ホームページを更新せずに
あっという間に1週間が経ってしまいましたね。
マメに読んでくださっている読者の皆さんは、既にお気づきと思うのですが、
私はいつも毎月2日ほど更新しない日があります。
生理のときは「もう、や〜めた!」なんです^^
できるだけ目を、アタマを酷使しないようにしています。
先週は、それに加えて、立春前の時期に仙骨が痛かった。
土用の時期にそういう症状が現れることがたまにあります。
春、骨盤が開こうとしているんだなという感じ。
お産の前に似た感覚です。
私の場合、生理前にうまく骨盤が開かない…
つまり、アタマや目を使いすぎて開きにくくなっているときに起こる症状かな…。
そんなこともあると、書きかけの文章を仕上げるパワーが出ずに
ちょっとサボって過ごしています。
モヤモヤの考察<2>が途中で止まっています^^
が、書けない代わりに、先日の上級クラスでその内容がワークとして生まれ出ました。
「貼られたレッテルを剥がす」試み。
また、レポートしたいと思います。
あとは、いろいろな喪失、別れを体験していました。
角のワインバー「椿」がなくなるとか(笑)
目黒駅近くのコーヒー屋がクローズしたとか、そんなことから、
中学受験シーズンでしたので、いろいろな悲喜こもごももありました。
清原選手の逮捕劇には、いろいろな想いが溢れました。
ひとつの別れもありました。
そして、105歳の祖母が逝きました。
100歳を超えているわけで、もう「大往生!」の一言なのですが、
私は自分でも予想しない衝撃を受けて動揺しました。
自分の細胞の主だから、かな?
中学生になったばかりの私を連れまわして、
手に職を持つことの大切さを説いたり、東京の歴史を語ってくれた祖母ですから、
私にとっては特別な女性です。
思えば、大泣きしながら抗議したこともあるし、
祖母も随分と人間臭い一面と聖なる面の両方を私に見せてくれましたね。
それだけでなく、逝くことで強烈に教えられたこと、気づかされたことがあって、
「死」は終わりではないこと、「愛」であることをひしひしと感じるのです。
本当に人が魂でつながっているということを。
父は、最期の時間をしぶとく、しぶとく過ごしています。
このようなことを伝えると、
タイヘンなときに相談をしては悪いかなと遠慮されちゃう方、
エネルギー的にパワフルではないだろうからと判断される方も
いらっしゃるようですが、あのね、関係ないですからね。。。
むしろ、近しい人が逝くとき、病に伏しているとき、大変なときって、
自然にみんなお互いを思いやる。
こころの交流、感情の交流がいつもに増していっぱいあるんです。
何事もなく順調なときよりも、
いっぱいいっぱい周囲の皆さんから温かい気持ちを、優しい言葉を、応援をもらっています。
もちろん、こんなときだから、価値観のズレ、考え方の違いに直面することもある。
ときに、感情的になることだってある。
でも、相手も自分も大切にしながらなんとか打開しようとせざるを得ないから、必ずや道が開かれる。
人は誰だって尊重されたい。
大切に扱われたい。
そう思わない人はいない。
それが人によって違うから、傷ついたり傷つけたりしちゃうわけだけれど。
世の中に溢れているのは不器用な愛ばかり、だよね。
でも、それは、形や出し方を変えたら
いろいろなものをあったかく塗り替えていく。
いつにも増して、たくさんの感情を感じられる日々が愛しいです。
そして、人生を終えようとしている人から教えられることの多さよ。
いろいろあるけど、人生って素敵。
生きているってすごい。
先日、知人が私をこんなふうに紹介してくださってすごく嬉しかったんですよね。
「女性のこころ、からだに、女性たちの人生に寄り添うさろん楓の真帆さん」って。
ブログ更新ストップしていますが、
時により、スケジュールの変更をお願いすることなどもあるかもしれませんが、
皆さんとの人生の分かち合えることは変わらずの悦びとして、私はここに存在しています。
セッションも承っております。
予定されているイベントも今のところ特に変更はありません。
「ふるゆさ」という動く瞑想で日々鍛えられているので、元気ですから!
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