真帆さん
AC勉強会最終日の朝、分厚く重い資料の束の勉強会ファイルを用意して改めて感慨深くなりました。
これだけのことをやってきたんだなって。
長かったようなあっという間だったような。
不思議な時空間をみんなで共有した気分。
ほんと、不思議な感覚でした。
最初はとにかく今の自分の状況がひたすら苦しくて、抜け道が欲しくて、なんとかしたい一心のみ。
他の参加者のみなさんもそうなんだろうと勝手に思い、
シェアするというよりか自分に集中することにエネルギーを費やす。
ちょっと1人暴走しすぎかなって思いもしたけれど、はやくラクになりたくて必死。
私は友達をつくりに来てるんじゃないしっていう思いとそれまでの周りのニーズに
キャラクターを順応させる癖を止めてエネルギーを自分に使えたってことも加勢してブイブイ走る。
最初のうちは解決策やできることが増えてきて一人上手よろしく、楽しくすごしていたけれど。
3ヶ月くらいして勉強会に出るとモヤモヤし始めた。
6人中(まほさんも含めると7人)1人だけ一人っ子な私。
なんかやっぱり育ち方による不満や環境の違いも自分だけ少しみんなとずれてて共感は得られていない感じがする。
一人っ子感覚は体感してないと理解を得られないって薄々思っていたけど
こういう勉強会でもそうなるんかー…と焦る。
なんでなんでもかんでもかまわれたいていう欲求に変化するの?
かまわないでほしいって思いは理解してもらえないのか??
それともかまわないでほしいって言うのがかまってほしいってこと???
いやいや、わたしは心底かまってほしくないんだぞ!
っていう人はそもそもここにはいてないってこと??
じゃあやっぱりわたしかまってちゃんなんか?????
と、些細なきっかけでぐーるぐるし始めたわたし。
ここでもみんなと同じにできない、わかってもらえないしわからない、疎外感でまみれる。
悩みを共有できなければ仲間になんかなれないじゃん!
安心感や達成感を分かち合えないじゃん!
それなのにこれが仲間だっていうまほさん。
どこがなの??
全く以てわかんない!!
と結構早い段階でやさぐれたはじめ、
別に仲間なんていらないしと拗ねまくり、怒りまくり。
それに加えて解決策が知りたくて参加した勉強会だったはずなのに
いつの間にかまほさんに答えあわせするが如くおはなしを聞く会的雰囲気になっている自分と
勉強会の空気がたまらなく嫌で。
反抗期到来でした。
しかしその怒りを利用して、勉強会と平行して社会復帰したりしていた私には
勉強会と勉強会の一ヶ月の間にも応用問題の如くいろいろな出来事が起きていたので
その解決するエネルギーに変換していたのかも。
溜まっていた怒りの発散だっただけかもですが。。。
振り返ってみてもほんっと目まぐるしい時期。
よく次から次にでてきたなぁ。
拗ねることは甘えの一種だと認識していたので、ここからまほさんを信頼して思いっきり甘えさせていただきました。
相談しない答えをもらいにいかないという甘え。
見守ってもらえているとなんでか信じきっていて。
体当たりで出た対社会。それから夏の離島合宿。
どれも自分の直感でやったことだったけれど
自分の蓋した感情や埋めた自分に揺さぶりをかけるには申し分なかったですがキツかった!
自分の『本音』ととことん向き合って出てくる出てくるどろっとした自分。
依存心と自己肯定感のなさ。
そこからくるシャットアウト癖。
意外に手強かった幼少期のトラウマ。
とにかく他人が社会が怖くてしかたないってことを見て見ぬふりしている自分。
他人にラインを定めてそこ基準で物事をジャッジして優越感に浸ったり絶望してみたり。
常に自分じゃなく他人基準の私。
今までわたしはこんなにも他人に認めてもらうことに必死だったのか…とようやく気付きました。
気付いたら最後、
私の人生は一体なんだったのか。
誰かに決めてもらって、みんなにいい顔して嫌われないように怒られないように
波風立たせないように生きる。
人に嫌われなかったら安心して生きて行けるんだと無意識に信じているわたし。
そういう人って信じられないっていってた私がまさか、そんな人そのものだったなんて!
今まで自分で選んで決定してきたと思っていたことが実は常に誰かに(主に頭の中の母ですが)
『これでいいんですよね?』って、聞いていた自分に気付いたときはあまりの衝撃で絶望の穴に落ちたかのようでした。
人生を棒に振った気分に。
年齢のことも気になって自暴自棄にもなりました。
でもそんな状況でもフェードアウトしなかった勉強会。
なんでだったんだろうと自分でもおもうのですが、想像以上にみんなの存在っていうのが大きかった。
自分以外の感じ方を知れるというのは本当に貴重な経験でした。
ジャッジもアドバイスもなしで話しができる場であるということの心地よさ。
そこに依存するまではいかないけれどなくても困る、埃落としのような時間というか。
それぞれが淡々と自分と向き合っているんだなって気付いたら
爆走していたのがスピードダウンし始めて、
はやく解決しなくちゃという焦りがなくなって。
わかってもらわなくてもわからなくてもここにいていいという安心感が出てきました。
(今まで条件付きで存在許可、交換条件を満たし許可されていると思っていた)
より素直に、周りに気を遣わず、自分に気を掛ける。
自分がどう感じたのかを拾いあげることを大切に。
埋めた子供を掘り起こし砂を払い丁寧に奇麗にしていく作業。
周りの砂場には仲間も同じように作業している。
今までの仲良し〜仲間〜っていうベタベタした自分に都合のいい関係性じゃなくて、
ただいてくれるというか
苦しんでいるのはわたしだけじゃないことを教えてくれる存在であり
私が苦しんでいるのを知っていてくれる存在である
この感覚を言葉にするのは難しいけれど
ほどよい距離感(ちょっとニュアンス違うかも…)でいてくれることのありがたさ。
もしかしてこれが『仲間』ってことなのかなって。
生まれて初めて知る感覚、体感でした。
それまでの自分がいた世界はとにかく戦うこと前提だったように思います。
戦わないと自分の安心できる場所が確保できないんだって、ACあるあるを地でいってました。
だから負けたくなかったし、わからないことがいやで怖かった。
なんだけど、離島での一件から無意識下で引きずっていた幼少期のトラウマ?が
『たまたま』だったってことが腑に落ちてからはそれがどうでもよくなりました。
こだわりがなくなった。
全てのことが快/不快 好き/嫌い だけのことじゃないかと。
『私』がどうか
『あなた』がどうか
なだけでスポイルされてたり批判されているわけじゃないってことの体感。
特に主張しなくてもいい。
わたしにはわからないことあってもいいし、どうでもいいこと、どうでもいいひといてもいい。
ここに気付いてスコーンと抜けました。
(まほさんの「(いい加減)あきらめなさい」の一言が効いています!)
もちろん(?)今もまだ集団が苦手だし女性の集まりはヘンな汗が出てきます。
でもそんな自分がいることを受け止めている自分がいるのでそこまでの苦手意識はなくなりました。(多分)
負けてもいいし戦わなくても大丈夫。
自分をキャラ付けして認めてもらおうとしなくても
居心地よい場所にするために奔走しなくても大丈夫。
私の人生ストーリーの登場人物には敵味方だけじゃない人もいるんだってことがわかったから。
ベタベタするのが愛=安全区域ではなくて、私にとっての愛=安全区域はほどよい距離感で見守ってもらえること。
それをみんなにおしえてもらったよーな気がする…多分…。
存在を許して許される愛ある空間。
それだからフェードアウトせず勉強会ラストまでいったんだと思います。
勉強会スタートから数ヶ月は1回目のメモ書きみないと名前が出て来なかったみんな。
覚える気もなかったのに…!!
仲間っていっちゃいました!
…まぁ最後のさいごで爆弾投下ありましたけども。
ちょっと諸々ショックな部分がありましたけれど、逆に知らなくてよかったとも思いました。
その場にいたら、昔の癖が出て変に親分気取っちゃって余計に物事大きくしてたかもしれないし。
超冷静に分析しちゃってもっと傷を深めたかもしれないし、って。
一瞬『わたしは誘ってもらえない人間なんだ』って凹んだのも事実ですけど〜。
気高く美しく孤高の、でもかわいらしい女の子が共存しているステキなMさん。
壁の張り巡らせ方やその壁の脆さがなんとなく自分と似ているような気がしていて、ほっとけなかったです。
簡単に「あなたの気持ちわかる」っていいたくないけれどつい言ってしまったことちょっと後悔してます。
Yちゃんは途中から急激に元気がなくなったし、無理?しているように感じたので
どうしたのかなぁと思っていました。
背景がわかり納得しました。もう少し突っ込んで話してみたかったです。
Hちゃんは素直さ、ストレートさが羨ましかったです。
心を開くってことを見せつけられたあの時に、私は人に降参することを教えてもらいました。
Uちゃん、もっと話したかった!!^^
Mちゃんにはひたすら感謝です。
Mちゃんは最初からにごりのない真っすぐな瞳で正面にいてくれました。
最後の日に言っていたけれど彼女のパターンだとしても私の話を聞きたいっていってくれたこと
気にかけてくれたこと、優しくしてくれたことありがたかったです。
最後の爆弾投下も、一字一句優しくて。
心を打ちました。
伝えられなかったのでここに書いてしまいました。
仲間への今浮かぶ言葉です。
みんなにはしあわせでいてほしいなぁって思います。
いつでもどこでもいつまでもわたしはみんなのしあわせを願っています。
まほさんにはごめんなさいとありがとうをてんこ盛りで!
遠慮なく大暴れして甘噛みしても見守り続けてくれたこと、心強かったです。
他人なのに…甘えまくりでごめんなさい。
最終日にもつい言っちゃったけれど純粋になんて尊いお仕事なんだろうと密かに感動してしまいました。
それぞれのプロセスを見守り、勉強会の場の空気を作り、崖の縁に立ち続けてエールを送ってくれるまほさん。
そういう人生の先輩がいることでどれだけ勇気と安心感をもらっているか。
ただただ感謝、です。
ありがとうございます。
またさろん楓にお邪魔します。
補講と残りのカウンセリングもありますし!
ひとまず、私のレポートは以上でございます。
AC勉強会初級〜中級 お世話になりました。
ありがとうございました!!!!!
これからもどうぞよろしくお願いします。
挑んでくれて、やさぐれてくれて、甘えてくれて、反発してくれて、闘ってくれて、
気づいてくれて、安心してくれて。
そのプロセスをすべて体験してくれて、語ってくれて、本当にありがとう。
またご来訪を待ってます♪
いつもこころにへいあんを
真帆
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