よくある!癒しと回復の勘違い②

さろん楓 真帆です。

いつもありがとうございます。

 

よくある!癒しと回復の勘違い②をお届けします。

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  • 自分の思い込みや生き方の癖、考え方の癖は、手放さなくてはいけない

これも、間違いやすい勘違いですね。

  • 自分の思い込みや生き方の癖、考え方の癖は、手放さなくてはいけない

誰にでもある生き方の癖、考え方の癖。
自分で自分のそれが嫌だったら、修正していきたい。
もっとツラくない、ラクな形にしていきたい。

 

でも、変えなければいけないわけではないです。

意外でした?

 

生き方の癖、考え方の癖は、その人の個性でもあります。
そして、その人のある種の美学も含んでいると思うのです。

 

それをすべて手放さなくてはいけないと思ったら、混乱しませんか?
今までの人生のすべてを否定されたような気がしてきません?
いったい誰になれというのか?と、空虚感漂う、腹立たしいような気持ちになってくるのではないでしょうか?

 

癖も、個性も、美学もそのままでいいと私は考えています。

 

ただ…その癖の根っこの根っこにあるものが「恐怖感情」だったり「強迫観念」だったりするために、
本人はものすごくツラいですね。

 

ですから、その恐怖感情や強迫観念のほうを手放すべく進む。
それが癒しと回復の道筋です。

 

でも、その恐怖感情や強迫観念は、それはそれは根強いものです。
簡単には変えられない。
だから、丁寧に丁寧に向き合っていくのです。

 

★   ☆   ★

 

ある方は、他者に忠実過ぎるところがあります。

人の愚痴や相談にもとことん全力で付き合う。
メールにも細かく返事を返します。
優しい「いい人」です。

 

でも、愚痴を言ったほうは、言うとすっきりして満足してしまうもの。
そうなると、メールでも自分の一生懸命度とは裏腹にバッサリと切られる感があって、
つい、余計なことを言ったかな?とか考えてしまうそうです。

 

そうするとなんだか自分がごみ箱みたいな気がして、
私ってなんだろう?と思ってモヤモヤが溜まってしまう…。

しまいには、腹が立ってくるのですよね。

 

その方は「いい人をやめることが課題」とはアタマではわかっています。

 

「ここで見放したら相手が可哀相」と思ってやってきたことですが、カウンセリングを通して、

「相手の立ち直る力を信じて、他人と線引きをする事やいい意味でスルーすること」が大切とわかってきました。

 

が、そういうことは自分の中では「悪い」と認識してきた行為なわけです。
だから、本当にやっていいのか躊躇してしまう。
自分の中の「禁」を犯すことだから怖いのです。

 

端から見たら大したことではないかもしれない。
でも、本人は怖いのです。

 

「怖い、怖い」と言いながら、その怖いことに対して、敢えて行動実験を重ねます。
これが、意識していると、不思議とできるようになって
ああ、怖かったけれど思っていたような悪いことは起きなかったという確証を得ていく。

 

理屈だけだと「怖い」はなくならないですね。

 

「怖い」ときには、実のところ、とても視野が狭くなっています。
からだも緊張していたり、息がとまるほどだったりする。
そんなときになかなか自分を俯瞰することは難しい。

 

だから、癒しと回復には「案内人」と「仲間」が必要と私は考えています。

 

★   ☆   ★

もうひとつ、例をあげましょうか。

 

完璧主義の人は、完璧が好きでやっているわけではない。
完璧にしておかないと怖いという動機があるので、実は本人はツラいのです。

 

怒られるかもしれないから、
とんでもないことが起きるかもしれないから
ダメな人という評価がつくのが怖いから
それに備えるために必死でやるのです。

 

それが、幼少期に学習した「生き方の癖」です。

 

それは芋づる式に
・完璧にしないと人から評価されない。
・人から嫌われたら終わりだ
・すべての人に好かれなければ人としてダメだ。

などなど、自分でも意識できていない、言語化できていない
根強い信念が付随していますからさらに厄介なのですね。

 

生き方の癖とは、言い換えると、
年齢不相応に身につけたかなり高度な「おとなのスキル」なわけです。

 

周囲の様子を敏感に察知して、怒られないように、問題が起きないように立ち回る、
人の心配事や愚痴の聞き役になる、なだめ役になったり、人の面倒を看る、
料理、洗濯などの家事を大人のようにこなす、
たった一人でいろいろなことを頑張る、
泣いたり怒ったりせずに、感情を抑えて冷静に行動する、
要求しない、おとなしく順応する・・・などです。

 

こうした言動、振る舞いに対して、
当時は「子どもらしい子ども」のように手がかからないので、
大人から褒められたり、評価されたりしたこともあるでしょう。
自分でも長所として理解していることが多いかもしれません。
しかし、これらは、目の前の必要性に迫られて、選択の余地なく、
しかも、怖れと自己否定感を土台にして身につけたスキルです。
自分の素直な感情、意欲から発生したやり方ではないのです。

 

だから、苦しい。
柔軟性がないのです。

 

これね、家庭が悪い、親が悪いと言いたいのではありません。
犯人捜しをすることには何の意味もない。

 

自分が子どもながら、教えられてないのに全身全霊でそう解釈したのです。

 

それだけ愛されたかった。
それだけ両親を大好きだった。
お父さんお母さんがすべてだった。
そこにはそんな切ない子どもの純情があるだけです。
ただひたすらけなげな自分がいただけ。

 

これがインナーチャイルドの傷みですね。
特に、インナーチャイルドの3つの顔のうち「支配する子ども」の苦しさなのです。

 

でもね、それはその子の「生き抜くチカラ」でもあるんです。
だから、美学にも通じるのです。

 

でもね、柔軟性がないのは本人が苦しい。
幼い自分で自分で決めたことだから、今、大人の自分が自分で決めてやめていく。

 

生き抜いてきたチカラがある。
だから、勇気をもってそのベクトルを変えてみよう、と言っています。
このときだけ、ちょっとスポ根マホ先輩です(笑)

 

「防御する方向ではなく、怖いけれど、新たに広げる方向に向けるのよ!
それだけのチカラがあるあなたならできるわ!」ってね^^

 

「それをしたらダメだ」と自ら決めていた禁を自ら破っていく。
怖いけれど、ね。

 

それをしたとしても、何の不都合も起きないことを、
恐れていたことが起きないことを行動実験で実証していくんです。

それと共に、別の選択肢を増やしてゆく。
よく「オルタナティブを選べるように」「球種を増やそう」と言っています。

 

こんなことを積み重ねてゆくと…

 

周囲から見られるあなたの個性は基本的に変わらない、
周囲の状況も何も変わらないけれど、
でも、あなたの内面が変わっている。
ちょっと見える景色が変わっている。

 

いつもいつも強迫観念で咄嗟に、衝動的に行動するわけではない。
ときには気を抜くこともできる
TPOによって自分の行動パターンも柔軟に選べる。

 

そんな自分をふと発見できます。

 

自分が強迫観念から行動していると、
どうしても、周囲にもそれを求めたくなって
余計な苛立ちもついてくるのですが、それも減ってきます。

 

自分を許せると、他者をも許せるようになるってやつです。

 

そんなふうに
あれ、なんだか自分もラクだし、
周囲の人ともラクに接することができるし、
あれれ、随分とまぁるい感じだわ

という循環が起きてくる。

 

こういう流れが起きているわけです。

 

でもね、このプロセスには、いろいろなことが起こります。
嬉しいことも、ツラいことも。
素直に感情が出せるようになったら、喧嘩になった、ひどく傷ついたとか、
すごく人を批判したくなるとか、
いつの間にか、どっちが早く癒されたかの輝き合戦をやっているとか、
癒しの優等生をやろうとしちゃう、とかね。

 

だから、丁寧に丁寧に。

 

さろん楓は、そんなふうに自分とじっくり向き合うところです。

「知識」と「体験」をつなげて、
「智慧」と「経験」に変えてゆくところ、です。

 

すっかりなくなっちゃう癖もありますし、

やっぱり大事にしてる美学もある、

しんどいときにやっぱり顔を出す癖もあるなぁ、

そんなときはまたセッションを受けようかな〜

というふうに歩いて行ける「ほどよい癒され度」が目指すところです。

 

お逢いできたら嬉しいです。

 

直近ですと、

 

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