さろん楓 真帆です。
いつもありがとうございます。
金曜の晩のエロス・タナトス 〜愛と死を考えるおはなし会第2弾〜
「微笑みながら、看取るために、看取られるためにできること」は、
男性2名、女性4名、私と麗子さん、計8人の集いでした。
終わったあと、その余韻に浸ってか、
なかなか皆さんの足が動かなかったですね。
今回も優しい時間、穏やかな空間でした。
前回も参加された男性の方が
「気持ちがふくよかになる時間」と表現してくださいました。
(うーん、美しい!この表現に、女性たちはうっとりしてたと後日談あり)
このイベントのイメージ写真は、
20年以上も前、学生の頃に観た写真展の図録からお借りしています。
タイトルは「エロス・タナトス」という写真展でした。
イタリアの写真家カルロ・ラヴァトーリ氏の和紙に映した作品です。
なぜ「死」が「愛」なのだろう?という漠然とした問いを
私はずっとこころのどこかに抱え続けていた気がするのですが、
(通常は、忘れてますけどね)
今、「エロス・タナトス」「愛」と「死」が並び称されることの意味が
わかるようになっていることが、個人的にとても嬉しいです。
なぜって、「死」を語ると「愛」が溢れるから…
6月の初回と比べると、
第2回目は来たるべきときのために、
話を聞いておきたいという方が多かったです。
「まだ両親は元気で健在だけど…」
「来たるそのときのことを考えると…」
…恐怖、拒否感、いろいろ生まれますね。
今週に入ってから、
怖気づいてしまってキャンセルしようかと思った
という方もいらっしゃいました。
でも、「来て本当によかった」と笑顔でお帰りになられました。
今回は、終末期専門認定ナースである麗子さんが
大嫌いだったお義母さんを看取ったおはなしをしてもらったのです。
看取るってこういうことだよ、
こういうことが起きるよ、
こういうことに注意して、
というアドバイスも含めながら。
「介護や看取りってただ大変なだけのものと捉えていたけれど、
「今日の話を聴いて、可能性を感じた、希望が見えた」
そんなことを言われた女性がいました。
そうですね、知らないよりも知ってるほうがいい。
なぜなら、余裕が生まれるから。
誰もが父を送るのは1回。
母を送るのも1回。
それが短いスパンで訪れる人もいる。
突然やってくる場合もある。
準備期間を与えられる場合もある。
・・・人生の最期に「死の壁」と言われる瞬間があるのだそうです。
でも、その「死の壁」の超え方は誰ひとり同じではないと麗子さんが言われていました。
生まれるときもそうですが、
死ぬときも人は、One and Only「唯一」なる存在なのですね。
★ ☆ ★
ある男性の方が言っていました。
「余命宣告されるというのは、裏を返すと
死までの準備期間が与えられるということなのではないか」と。
確かにそうです。
私の父の場合、3月後半の時点で長くて6ヶ月、と宣告されました。
ありがたいことに「長くて」の道を邁進しています。
その間に、家族一人ひとりがそれぞれに心模様を変容させています。
こういう機会がなかったら、あり得なかったことが起きる。
決してこの期間が長ければ長いほどいいということでもないように思います。
だって、本人も家族も苦しいから。
でも、「締切があるから仕事が仕上がる」みたいな感覚で
一緒に苦しむ時間を共有することに、言葉にならない価値があるような気がします。
麗子さんにも
「真帆さんはその時間をじっくりと味わっているのがいいですね」
と言われました。
今、私自身が父を送るに際して悩んでいることがあるのですが、
皆さんがそれについて一緒に考えてくださったことも嬉しかった。
正解も間違いもない。
後悔することがないように、とはよく聞く言葉ですが、
後悔したっていいじゃないかとも思う。
でも、今回のおはなし会を通して、
よりよい看取り、見送りをするために
欠かせないことはこれだと確信したことがありました。
近々にこれを記事にいたします。
★ ☆ ★
おはなし会の前の軽食。
とうもろこしを炊き込んだごはんをおにぎりにしたのですが、
コーンのプチプチとした感覚をみなさんに喜んでいただけてよかったです。
そして、重ね煮を使ったそうめん汁。
重ね煮レッスン再開しましたからね(笑)
こういうのがさっと作れるようになりますよん。
コメント