こんな想いを抱えているとき、
こんな状態でついため息が出てしまうとき、
いろいろ勉強したりしてみたけれど、
かえって傷ついてしまって、
結局何も変わらないと思っていたとしたら…
よかったら読んでみてください。
- 「理由がわからないモヤモヤ」
- 「なんとなく生きづらさ、生きにくさを感じる」
- 「いつも恋愛が上手くいかない…」
- 「人間関係はある程度ソツなくこなせるけれど、家族や友人、恋人、上司、同僚など近しい人ほど関係が難しくなる」
- 「人との距離感のとり方がわからない」
- 「仕事の話はできるけど、雑談が苦手」
- 「女性の集団が苦手」
- 「一人が気楽だけど、本当は寂しい」
- 「時間が過ぎてから、人に対して、モヤモヤやイライラ、不満が募る」
- 「いつも人が羨ましい」
- 「我が子を見ているとイライラしてくる」
- 「赤ちゃん、子どもにどう接したらいいかわからない。女性として欠陥がある気がする」
- 「イライラが募ると食べる事で紛らわそうとする」
- 「怒りの対処の仕方がわからない」
- 「何か言われたときに、頭が真っ白になって言葉をなくしてしまうことが多い」
…何かを変えなくては!と本を読んだり、ブログを読んだり、セミナーに行ったり。
でも、そこで得た「やり方」で、たった一人で自分に向き合おうとしていませんか?
こんな想いを抱えているとき、こんな状態でついため息が出てしまうとき、
私たちは「自分」「自我」というフィルターから、自分を眺めています。
メガネをかけている状況を想像してみてください。
そのレンズは、視力や乱視を矯正したり、
うっすらと色がついていたり、曇り止めがかかっていたり、
また、世界は広いのに、レンズを通した部分しかよく見えていなかったり。
一人で自分に向き合おうとしても、
結局、このメガネで自分を見続けているだけ。
同じところをグルグルとまわってしまうのはそれゆえです。
さろん楓のカウンセリングは、そのレンズは今のあなたに合ってる?これからも使い続ける?
ということを共に考え、あなたがラクになり、すっきりと心地よい感覚を得られるよう、対話を重ねていきます。
ただ、実際には、このレンズを広げたり、柔らかくしたり、変容させようとするときに
ものすごく傷みを伴うのですよね。
それは、これまで長いこと、傷つかないように痛いことがないように自分を防御していたものですから、
どんなに正論であっても、このレンズに触れることは痛いのですよね。
…痛いとどうしてもからだが縮こまる。呼吸が止まる。触れられたくないと思ってしまう…。
ですから、このプロセスを丁寧に、丁寧に行う必要があると私は考えています。
それゆえに、なぜ今あなたはそのレンズを使っているんだろう?という共通認識をもつことから始めます。
そのために、初回のカウンセリングでは、家系図を書いて家族の系譜を一緒に眺めていきます。
- なぜ、AC(アダルトチルドレン)?
AC(アダルトチルドレン)という言葉は、初めて聴きますか?
「そんなのもう、知ってるよ…」と思うでしょうか、
なんとなく、生まれ育った家庭のことを悪く言うようで、ざわざわする、抵抗感がある言葉でしょうか?
知っているけれど、親とはうまくいっているし、自分には特に関係ないと思うでしょうか?
私自身は、自分がACであると自覚してから20年近く経ちますが、
ACというキーワードは、自分がACであるか、否かということよりも
はるかに大切なことを私たちに教えてくれると思います。
ACとは、「今の生きづらさが生まれ育った家庭の機能不全に起因する」という認識ですが、
私は、20年近くこの認識、概念とつきあってきて
家庭の機能とは「人のこころを育てるコミュニケーション、対話、及びその場」ではないか
という考えに辿り着いています。
ですから、ACは親個人を責める概念ではないのです。
殴り合いの喧嘩をしてでも、言いたいことを言い合って本気でぶつかってきた親子
ACという概念に関しては、少なくない方が
「確かに自分に生きづらさはあるけれど、親を悪くは言えない。家庭のせいではない」
と言われますが、そう思うのは当然です。
だって、子どもは誰だって、いくつになったって、親のことが大好きです。
たとえ、親がどんな人間であったとしても。
許せない何かを持っている…としたら、
それは、大好きだったから許せなかった、だけではないでしょうか。
それよりも、親の使ってきた言葉、日々の対話がどういうものだったか?
自分はそこから何を感じ、何を学んだか?
そもそも、親はどうしてそういうコミュニケーションをしていたか?と言えば、
それはそのまた親に起因するし、
それはそのまま、日本の社会の在り方、時代の在り方を問うことになる。
日本人って?日本語って?という問いかけになっていく。
となると結局のところ、自分はどういう言葉で、どういう対話、どういう感情表現をしていく?
というふうに、どうしてもブーメランのように自分に返ってくるわけです。
「自分を肯定していく」とは、よかったこと、反面教師にしたことなども含めて
親からもらった有形、無形のもの、さまざまな経験を肯定しながら、自分を活かしてゆくこと。
真に自分を活かして、社会に貢献することができたならば、
それは、たとえ親が望んだ形でなかろうと、親孝行に違いなく、
命をもらった親への感謝につながる長い道のりなのではないかと思います。
そのプロセスの中で、もし、自分の中で育っていない部分があると感じるならば、
責任をもってそれを育て直して生きていく、
怒りや悲しみ、わだかまりを抱え続けているならば、
その感情を親当人にぶつけることなく解消していく…。
そんな姿勢です。
つまり、AC(アダルトチルドレン)について、知ること、学ぶことは、
自分の価値観、ものの見方や考え方、感じ方はどうやって創り上げられてきたのだろう?と自分を理解すること、
そして、大人になった今、それを持ち続けるか否か?を選択すること、
もし、自分の中に育ってない部分、未成熟の部分があるならば、それを育て直すこと、
そして、改めて大人になった今、自分を育てた親を理解することです。
自分がACか、どうか?ということよりも、
どうやって自分が物事を認識してきたか?親はどういう価値観、どういう時代背景のもとに
自分を育てたのかを知ることのほうがずっと意義深い。
…仕事にしろ、家庭にしろ、人間関係にしろ、恋愛にしろ、一生懸命やってきたけど、頑張ってきたけれど、
なんかうまくいかない、「あれ?」と思ったとき。
自分の仕事の愛し方、からだの愛し方、家族の愛し方、
自分の感情の愛し方、人の愛し方はどうなんだろう?と見直してみる。
大人になった今だからできる「こころの棚卸し」として 「愛し方カウンセリング 〜AC・女性性〜」を
提供させていただいています。
- 女性性ってなんだろう?
【女性性】とは、一言で表すと「精神的な豊かさ」のこと。
決して、女らしさや女性としての質、価値のことだけを表すわけではないですね。
だから、男性だって女性性を持っています。
一方、【男性性】とは「社会的成功や物質的豊かさ」に価値を置くこと。
これは、もちろん私たち女性だって持っている質です。
女性としての人生をこの「男性性」というメガネをかけて見てしまうと
「恋愛・結婚・妊娠・出産」が達成すべきもの、持ち物になってしまう…。
持ってなければ、「負け」になってしまう…。
この「男性性メガネ」は、私たちが成長してくる時代の王道なものでしたから
一生懸命頑張ってきた方ほど、このメガネが当たり前になっています。
社会で生き抜くために、このメガネは大事。
でも、それはもう十分に機能しているから、これからは女性性メガネも同時に持ち合わせていたい。
プライベートではむしろそちらを使いたい。
キーワードは、どうするべきか?正しいか間違っているか?ではなく、
好きor嫌い、快or不快 のセンサーをONにすることです。
さろん楓では、これまで後回しにしてきたそんな「快適・好き・ラク・心地いい」を
特別な非日常のものではなく、日常の当たり前のものとして選べるように
「食」「料理」「ふるゆさ整体」「アロマ」「雑貨」などなど、
「感じること」「創造すること」「触れ合うこと」を味わうさまざまなプログラムをもご用意しています。
★ ☆ ★
思うようにいかないことが起きたとき、
相手を、周囲を責め、批判して、怒り、拗ねる、ひねくれる…方もいます。
一方で、自分を責め、落ち込んで、その後、それは綺麗に隠して蓋をして
まったく違うところにエネルギーを注ぐ…方もいます。
人それぞれの癖があります。
その癖によって、対処法が違います。
だから、お一人おひとりへの理解と対処法が大切と私は考えています。
前者の方は、怒りの底にある「悲しみ」をちゃんと見つめ、
嘆くことができるようになるといい。
後者の方は、理不尽な扱いを受けたことに対して
怒りを感じられるようになるといい。
そうすると、その人がもともと持っているエネルギーが立ち上がってきます。
それこそ「リプロセス(生き直し)」であり「リボーン(再誕生)」のプロセス。
自分の在り方、状態を把握せずに、
誰かのメソッド通りのことをやってしまうと、こんがらがってしまいます。
こんがらがると、訳が分からなくなって、逆に傷ついてしまう…。
私たちは、一番怖いこと、一番ハードルが高いことをごまかすのですよね。
ありとあらゆる手段を使って。
だって、やっぱり怖いから、です。
怖いこと、一人じゃできない。
だから、私、一緒にいます。
そこを乗り越えられるよう、
乗り越えるべきハードルと、乗り越えなくていいハードルを見極められるように
私、真帆が、あなたに共感し、寄り添い、信じ、伴走します。
カウンセリングは、初回は対面が理想的ですが、
Skypeでも大丈夫です。
その後、メールでのサポートも随時行っています。
カウンセリングって、自分の至らないことに関して
説教される、怒られるってどこかで恐れている方が多いかもしれません。
でも、私は誰かに説教するほどたいした人間ではないです。。。
さろん楓に通われている皆さんからは、
「キラキラし過ぎていないところがいい」
「弱さもダメなところも見せてくれる姿に安心する」と言われます。
私は、カウンセリング、整体、料理とやるので
なんでもできるように見られることが多いですが、まぁ、相当抜けてます。
かなりの情熱家なのですが、それを表現するのはなんだか恥ずかしくて
つい、強がってクールに見せてしまうのも、私の癖ですね…
でも、本当は「純粋ばか」だし、「寂しがり」だし、「泣き虫」だし、
友人からは、「カウンセラーっぽくない、人間臭いカウンセラーだよね」と言われます。
今でも「AC自覚」を持ちながら、それゆえに発達した数々の能力を活かしながら
日々、「しょーもない自分」に明るく、軽く、絶望しながら生きています。
あなたの「家族」「仕事」「恋愛・パートナーシップ」「性」「育児」「食(過食)」「からだ」
の愛し方、付き合い方が、なんか変かな?苦しいな、しんどいなと思ったら
ぜひおはなしにいらしてください。
親からもらったものはヨシとして、
これからの人生を生きていくにふさわしくないものを身につけていたら、
それを学び直して、素直さ、自由さを取り戻して、みずみずしい感性を全開にして、
「しょーもない自分」をめいっぱい愛する道、歩きましょ。
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