2015年、ありがとうございました

さろん楓 真帆です。
いつもありがとうございます。

 

暮れゆく2015年…。
今日も薄暮の空がきれいでした。

 

「今年はとてもよい1年だった」と振り返る方が多くて、
本当によかったなと思っています。

 

でも、そうは思えていない方も少なくないですよね…。
でも、大丈夫ですよ。
私はそんな一人ですから^^

 

私の2015年は、本当にドラマチックな1年でした。

 

奇跡的なこともいくつもあった。
でも、悲嘆に暮れること、怒りに震えることもあり、
うーん、けっこうしんどかったのです…。

 

こんなに人前で泣いたり、怒ったりしたことはなかった…と思うぐらい、
たくさんの感情を表現してきたと思います。

 

でもね、そんな私でいられてよかったなと思っているんです。
昔は、全部ひとりで抱えて、あとあとまで引きずっている人でしたから。

 

なぜって、そのときの感情を感じきって、
伝えたいことを伝えられたなら、
そして、それを相手が受け取ってくれたなら
ちっとも後に嫌なものが残らないから。

むしろ感謝だけが残りました。

 

そして、ツラいときに寄り添ってくれた人たち、
話を聴いてくれた方たち、
共に泣いてくれた方たちの温かさ、存在感、「つながる」感は、
やはり「しあわせって、悩みや問題がないことではない」という想いを
核心的なものにさせてくれました。

 

いいことが起きているときは、自分のいい面が出やすいですが、
しんどいことが起きているときは、自分の悪い癖が出るのですよね。

 

そんなブラックホールに何度となく足をとられたりして、
お!ここは陥りやすい落とし穴だわ!なんて、今後皆さんに伝えていけることもまたいくつも増えました。

 

そんな私を、あれやこれや言い合いしながらも、
そばで見守ってくれるパートナーがいることも本当にありがたいことです。

 

そして、ここは、この職業の変な習性でしょうか、
例えば、悲しみのど真ん中にいるときに、
幸せそうな人を見て、私は何を感じるのだろう?と実験するのです(笑)

 

羨むのか、妬むのか、批判したくなるのか、毒づきたくなるのか…?

 

どれもNOでした。

 

けっこう素直に「あー、よかったな」「きれいだな」とか思うのです。

 

それだけどっぷりと感情を感じられているのは、
それがたとえ悲しみであったとしても、
自分にそれだけ集中していられるって、不幸ではないのですね。

 

つらいのは、感じられないこと、と思います。

 

そして、つらくなるのは、その感情に対する自分の解釈に端を発して
「思考がぐるぐるすること」なのではないでしょうか。

 

ここは「感情」→「思考」へあまりに瞬時にリンクするので、
その区別がつきづらいのですが、悪いのは「感情」じゃないのです。

 

どういうことかというと…

「悲しい」「寂しい」と感じた瞬間に、
それを「みじめ」とか「ダメ」「かっこ悪い」と解釈すると…
そんな自分は間違ってたんじゃないか、など
自分を責める方向へひたすら走っていってしまったり、
誰かが○○な人だから私がこう反応してしまうとか、
人を批判することで自分を正当化したり…ね。

 

あとは、この世の中が悪いんだ…とか、
人生はそもそもそんな美しいものじゃないんだ…とか、
もうネガティブワールドはとどまることなく
どんどんに肥大していきます。

 

その「思考ぐるぐる」が苦しいのですよね。

 

今「悲しい」「寂しい」と感じた!
その瞬間で瞬間冷却!
そこで思考へとつながる鎖を切り離すことができれば、
実は実は、違う世界が見えてくる。

 

「知識」と「体験」がつながり、「知恵」と「経験」となる。

 

「私」になり、「私」として存在し、表現していいく道。
伝える表現を磨いてゆく道。

 

来年もそんなことを皆で学び合い、響き合ってゆきたいと思います。

 

2015年、かなりヨレヨレだった私を支えてくださったのは
さろん楓に足を運んでくださる皆さんでした。

 

本当にありがとうございました。

 

来年はもうちょっとシャキッとして
迫力を出して(笑)いけるといいな^^と思っています。

 

皆さんにとってよき新年が訪れますように。

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