ジェムリンガに関して。

さろん楓 真帆です。
いつもありがとうございます。

 

「何か」がメジャーになっていくとき、
必ずや、足を引っ張るような力学が働きますね。

 

ネット上では「2チャンネルで叩かれたら一人前」という考え方もあるぐらいですが、
一方で、それを見て不安、不審、恐怖にかられる方がいるのも事実です。

 

今日は、ジェムリンガについておはなししてみたいと思います。

 

さろん楓は、2011年春から2013年年末まで
約2年間、ジェムリンガに関する集いを開催したり、
私自身がジェムリンガを販売したりしていました。

 

最近、ジェムリンガに関して、
批判、非難の声も多く上がっているということで、
「真帆さんの奨めていたアレですよね?
アレはやはりよくなかったから取り扱いをやめたのですか?」
「アレは大丈夫なんですか?」
などというお声をちらほら頂きましたので、

改めて、今、私がジェムリンガに関して感じることをお伝えしたいと思います。

 

ジェムリンガ、ご存知のとおり、見えないところに使うデリケートなものですから
個人の感性、感覚に訴えるところが大きいと思います。

 

それゆえに、そこから生まれる個人的な体感、想いなどをシェアし合うことで、
皆、自分の女性としてのこころとからだに気づいていく素敵なきっかけになりました。

 

言葉がなかったら、私たちは話せない。
なんとなくな感覚を共有、共感していくことで、
自分の感性、感覚に自信を得たり、未知の可能性へ自分を開いていったり
性、セクシャリティについての言葉を獲得することができた、ということです。

これは素晴らしい経験でした。

 

ただ、その当時でも、対症療法的な結果を求め過ぎたり、依存し過ぎて
望んだような結果を得られず、傷ついている方もいらっしゃいました。

感覚的なものなので、そういう反応は充分起こり得ます。

また、コミュニティが存在すれば、その中で、競争、優劣という闘いに
抗えずに、自らアタマを突っ込んでしまって苦しむケースも多々あります。

 

ジェムリンガをきっかけに、そんな苦しさも含めて
丁寧にこころとからだを見つめようとする方たちが
さろん楓に集ってきてくれていたわけですが、
その流れが変わってきたと感じたのは2013年の秋頃でしょうか。

 

「ジェムリンガ」というキーワードからさろん楓にやってくる方たちが、
カウンセリングやAC勉強会を通して、自己回復していくこと。
ふるゆさを通して、からだの感覚を養っていくことには、
さほど興味を示さないようになってきたと感じるようになりました。

 

そうしたデータと感触から、

これ以上、さろん楓がジェムリンガを扱う意味はないと
経営判断を下し、それをそのまま須佐厳氏に伝え、了承を得て、
2013年末をもってジェムリンガ関連事業から撤退しました。

 

私は、その当時、もうこの目黒のスペースを運営し続けていく責任を負っていましたし、

さろん楓の今後の在り方を考えたときに、それがベストと確信したのです。

★    ☆    ★

その後2年でしょうか、さらにジェムリンガが広まるにつれて
ビジネス度も高まっているでしょうし、
それに伴っていろいろな方が関わっているでしょうから、
先に述べたような想いをする方も減ってはいないでしょう。
批判、非難の声が大きくなるのも、ある意味、自明のこととは感じます。
FBのような煽るメディアの影響も大きいと思います。

 

どんなものでも、接し方によっては、
吉にも凶にも出る可能性があるのではないでしょうか。

 

感性、感覚は十人十色。
ある人にとって、電光石火のひらめきをもたらすものが
ある方にとっては不安を煽るものだったりもする。

 

「いい」とか「悪い」とか、そういう大正解が

ますますなくなってきている時代の流れの中に私たちは今存在しています。

 

たとえばね、締め付けない下着ひとつとっても、
これを「ゆるゆるでラクよ〜」と受け取ると、
ちょっととんでもないことになります。

 

「ゆるいからこそ、自分のからだのチカラで締めるんだよ」
という使い方を知った人とは、同じモノを使っていても何かが違ってゆきます。

 

重ね煮もただ重ねればいいわけではない。
ふるゆさも、ただ揺すればいいわけではない。
ACのことにおいても、子どもにトラウマを与えてはいけないと
理解するだけでは、とんでもないことになります。

 

私は、このさろん楓という場で
そういう「How」を身につけること、
必要な「プロセス」を踏むことをこれからも叫び続けてまいります。

 

ちなみに、今は、ジェムリンガというきっかけがなくとも
さろん楓は、さまざまな集い、セッションにおいて、
性、セクシャリティについて気高く語れる場になっています。

 

それは、やはりジェムリンガという時期をさろん楓が、私が経験したからで、
ジェムリンガが存在したこと、出会ったことをとてもよかったなと思っています。

 

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