サイコドラマ

さろん楓ふなだまほです。
いつもありがとうございます。

 

昨日、AC勉強会の上級クラスで
はじめて、サイコドラマを実現することができました。

 

サイコドラマ(心理劇)とは、演劇の枠組みと技法を用いた集団心理療法で
過去の心の傷となっているシーンを再現して、

こうあって欲しかった在り方に置き換えていく手法です。

からだ、空間、距離感、音などを伴って再現されることにより

言葉だけのカウンセリングでは得られにくいダイナミックな効果があるのです。

 

決まったカリキュラムのない上級クラスでは、このサイコドラマに向けて
ここ数ヶ月、からだと感情のつながり、連動を実感、体感して、
自分の感覚にするために「演じる」ことを取り入れてきました。

 

そもそも、私たちは演じることに対して
いくらかの恥ずかしさがありますよね。

それゆえに、茶化してしまったりする。

 

でも、サイコドラマで扱う題材は、
その人の大切な大切な心象です。
真剣に、真摯に向き合う必要があるのです。

 

自分と立場の違う人を演じてみる。
…居丈高な男性になってみると、なんだかビクビクする。
あれ、怖いから防御のために、ああいうふうに見せているのかな?
なんてことがわかってきたりする…

 

そんなことを通して準備を重ねてきました。

 

★   ☆   ★

 

終了後、ある方は
「部屋に入れて、入れてもらえて嬉しかった」と言っていました。

 

2歳のとき、死の床につこうとするひいおばあちゃんのそばから
「もう寝る時間よ」と引き離される。
お母さんに悪気はないのです。
その後も何の説明もなくひぃおばあちゃんがいなくなったことによる喪失感…。

 

やり直したドラマでは、
ここにおいでと招き入れられて、
小さくても一人前の人間として扱われる、尊重されるという体験がありました。
そういう体験が、自分はここにいていいんだという安心感、居場所感として

確立されていくのではないか、そう感じます。

 

ドラマでは、脇役の方が素敵な演技を魅せてくれることがあります。
このときも親戚のおばちゃん役の女性が、その子にさっと場所を譲ってくれました。

あー、こういうときにこう反応するよねという臨場感ある絶妙な動き。
そういう場に応じて動く一人ひとりの感性があって、そのドラマが完成する。
人っていいな、人って素敵だなと感じる瞬間です。

 

ある方は、ドラマを振り返って、
自分が子どもの頃に、いかに話を聞いてもらえなかったか、
自分に味方がいなかったか、に想いを馳せました。

 

私が話せる時までゆっくり待って、
話をゆっくり聞いて欲しかった…。
味方になって欲しかった…。

 

「自分になかったもの」がリアルにわかってくると、
芋づる式にまたいろいろなことを思い出し、
いろいろな感情が湧いてくると思います。

 

ツライけれど、涙が溢れるけれど、ここは正念場。
逃げないで、向き合えるといいですね。

 

誰かの家族の役を演じてみて、
痛烈に気づくこともあります。

 

ある方は、こんなことを話されていました。

「自分は、子どもをいじめるかのようなセリフを
延々と吐くことができてしまう。
でも、あったかい言葉をかけることができない。」って。

 

私たちは、されたことのないことをするのは難しいと
いつも話しますが、
それをただ理屈で理解することと
こうして身をもって実感することには
天と地ほどの違いがあります。

★   ☆   ★

 

子ども時代を取り戻す難しさは、
自分になかったものがわからないところにあります。

 

子ども時代は、大人になった今とはまったく違い
思考も回らず、なかなか言葉にもなりません。

 

たとえば、たたみ掛けるように問い詰められると、
訳がわからなかったり、ただ怖くてアタマが真っ白になっていたりするのですよね。

 

ただ、その追い詰められた感覚、ぺちゃんこな感じが残っているだけで

どうすることもできない。

そこからは、子ども独特の考え方により、
自分が悪いという罪悪感や恥の感覚、
自己否定感、「自分はダメだ」感となって
ひたすら自分を苦しめます。

 

だから、がむしゃらに頑張らなければならなかったり、
自分を厳しく叱咤激励したり、過酷に非難したりする。
できない自分を許せないからです。

そうすると、他者にも同じことをすることになるので
やはりいい人間関係が作れなくなります。

 

それが年月と共に蓄積すると
どうせ私は…
どうせ俺は…
とひねくれてしまったり、
あきらめてしまったりする。

 

でも、なかった「何か」がわかると
疑似体験でそこが埋まってくると、
過去の傷は消えないし、消す必要もないけれど
そこを超えてきた自分に対して
新しい理解が生まれてきます。

 

なかった「何か」がわからないまま生きているのとは
違う「何か」が生まれます。

何か違う世界、景色が見えてくるのです。

 

さろん楓は「体験の場が必要だ」という想いから誕生しています。

その「何か」をぜひ体験していただけたら。

 

人との関係性よりも、まぁるい関係性よりも
何かができること、上へ行くこと、何かになること、
先へ先へ進むことばかりが賞賛された時代の傷跡のようなものを
誰もが抱えていると思うから。

そんなお話を語りにいらっしゃいませんか?

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