さろん楓 真帆です。
いつもありがとうございます。
先週のAC勉強会上級クラス。
その晩、こんなメールを送ってくれた方がいました。
今日の勉強会と先日のセッションと、ありがとうございました。自分のことについてじっくり語ることができるっていいなと改めて思います。日常生活の中だとやっぱりなかなか難しいなぁ、と。
私もそう思う。
縁あって、共に、学び合う仲間たちがいるからできること、なんですよね。
それに「本当の自分で生きる」とは、
言葉は綺麗で、ステキなイメージを纏っているけれど
現実にはそれはなかなかに大変な道です。
だから、たった一人では歩けない。
その日の学びを振り返って、こんなメールを送ってきてくれた仲間がいました。
→ こちら
彼女が、次のステージに進もうとしていること、私としても本当に誇らしい。
心から拍手を贈りたい気持ちでいます。
でね、同じ日に、こんな悲嘆に暮れたメールを送ってくれる仲間もいます。
前回の宿題を、昨日、ふとんの中で見返しました。
わたしの支配する子供は、ひとりで荒野を歩んでいます。誰にも、何にも頼るまいって。ひとりで生きていくんだって。わたしの内側にある荒野が、はやいとこオアシスに変わるといいのですがなかなか、うまくいかないな。
…うん。
人には、いいときも悪いときもある。
これ、見方を誤ると「あの人はすごくて、自分は…」と劣等感に落ちていってしまいますね。
そして、その発想のままでいると、自分がいいときには優越感という
優劣VS劣等のジェットコースターに乗ることになってしまう。
これ、終わりのない苦しさです。
また、人生のステージが上がると、嬉しいのだけど、人は孤独になるのです。
悩んで苦しんで、文句を言っているときは共感しあえる仲間も多いけれど、
自分がアタマひとつ抜け出すと、分かち合える人がぐんっと減るから。
それを望んでいたくせに、寂しさのあまり、嫉妬を恐れるあまり
引け目とか遠慮とかが顔を出してしまって、
今の位置に居続けようとする人も少なくない。
その孤独に耐える力をつけていくために、
やはり、次なる学びがあるわけです。
☆ ★ ☆
他のクラスでも同じようなことが起きています。
誰かが孤独や恐怖におびえているときに
誰かが頑張った達成感の中にいたりする。
誰かが人を愛する悦びに微笑んでいるときに
寂しさにうちひしがれている人がいる。
怒りに震えている人もいる。
今回のような自然災害の被害に合う仲間もいる。
本当にいろいろなことが起きています。
連絡してきてくれる人のことはわかるけれど、
そうでない方は、どうしているかな?と想いをめぐらします。
☆ ★ ☆
自分が苦しいときって、どういうことが起きているときなんだろう?
ぐんっと飛躍するためには、からだを一瞬締めて、縮こめて力を溜めます。
そこから、その力を使ってぐっとからだを開いていく。
それと同じように、
成長痛があるように、
走り幅跳びのときのように、
飛行機が滑走路を走ってテイクオフするときにみたいに
跳ぶ前にはぐっーと圧力がかかる。
けっこうキツイ。
そのとき、ちゃんとした支え、重心が必要で、
それが不安定だと怪我をしてしまうこともある。
だから、苦しいときこそ、冷静にちゃんと足場を確かめる。
変なところにチカラが入っていないか、メンテナンスをする。
人は誰もそれを繰り返しているのだと思います。
一旦飛んだらそれで終わり、ではなくて
玉ねぎの皮を剥くみたいに、ずっと向き合う。
だから、競争でも上下関係でもないんです。
でも、一歩先ゆく人がいたら、参考にできる。
教えてもらえる。ヒントをもらえる。
そして、一歩後からくる人がいたら、
自分の成長を実感できる。
そして、必要なら手を差し伸べられる。
だから、人が気になることは、
いいことですし、素敵なこと。
そこに、たくさん魂を磨く要素が詰まってる。
というわけで、いっぱい関わり合いましょう。
喧嘩が起きたらちゃんと仲裁するから大丈夫よ(笑)
いつもそんなふうに皆さんを見て、応援しています。
めっちゃ愛してます。
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