6.26(金)エロス・タナトス 〜愛と死を考える第1弾〜 「微笑みながら、看取るために、看取られるためにできること」

さろん楓 真帆です。

いつもありがとうございます。

 

多くの死を見つめてきた終末期専門の看護師をお迎えして開催します。

 

死に関して、
親を見送ることに関して、
いつか自分が死ぬことに関して、
医療や看護、介護に関して。

 

いのちにまつわるいろいろな想い、共に語ってみませんか。

 

エロス・タナトス 〜愛と死を考える第1弾〜
「微笑みながら、看取るために、看取られるためにできること」

  〜死をどうとらえるか?〜

6/26(金)19:00〜21:30(18:00開場)
東京目黒さろん楓
4¸000円(軽食つき)
8名さま限定

★  ☆  ★

 

3月末、父のがん末期発覚に伴い、
これ以上の治療を望まないとき、看護してもらえる病院がないという現実に私自身が直面しました。

 

動揺、ショック、悲しみという感情的な動きとは裏腹に、
以下の3つの問題に同時に冷静に向き合っていかなければならない事態なのだと思いました。

  1. どこで死を迎えるか?
    そのときまでどのように看護を受けるか?という現実的な問題
  2. 家族の誰が何をやるか?告知するか、しないか、治療をどうするかを含め
    それぞれがどのように接するか?意見が食い違ったときにどうするか?という関係性や精神的な問題
  3. そもそも死をどのようなものと捉えるか?というスピリチュアルな、霊的な問題

そんなときに、多くのがん患者の終末期を看取ってきた看護士、麗子さんが
私の身近にいて、彼女がそんな私を受け入れて話を聴いてくれたこと、
疑問にこたえてくれたことは、私にとって大きな救いでした。

 

私が聴きたかったこと。
それは、がん患者は最期にどのようにして逝くのか?ということ。
覚悟はできてると穏やかに言う父がそのまま逝くのか?
「いのち」は最期にあがくのか?そんなことが知りたかったのです。

 

そして、どこでどのような看護を?という点においても、
ホームホスピスという新しい試みがあることを教えていただき、
幸運なことにご縁があって、父は今、栃木県大田原市のホームホスピスで穏やかな日々を送っています。

 

麗子さんとのそんな語らいの中から、
いかに親を見送るかということは、とりもなおさず、自分がいかに生きるかということだよね
と話が展開しました。

 

正解はない。
でも、だからこそ、自分が語り、他者の語りを聴き、
たくさんの物語を知ることで、さまざまなあり方を肯定していくことができたら。

 

「死」を見て見ぬふりをするどころか、
無意識のうちに、忌むべきものとしていることが現代の苦しさ、歪みとなっているのでは?

 

…すべてを終えてから公表する、報告するというのが
一般的な在り方かもしれません。
でも、そこへ向かう時間とプロセスこそが
いのちを終えようとする本人にとって、
そして家族にとって何よりも大切なのかもしれないと思い、
私は敢えて現在進行形で語ってみようとしています。

 

看護、介護に従事する方でも、
「死」について、それに関する自分の想い、感情を口にする場はなかなかないと聴きます。

 

既に、親を見送られた方、
これまでに死を身近に体験してきた方にとっても、
自分の経験を改めて語ることは、
自分に花束をあげるような行為となるのではと思います。

 

男性も歓迎しております。

 

当日は、18時開場。
軽食をご用意してお待ちしております。

 

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