リレーションシップ講座への見学参加について
講座の中の「お昼ごはん」と「季節のからだケア」はぜひご一緒に、
本丸である「ロールプレイサイコドラマ」は見学頂きます。
リレーションシップ講座とは? こちら↓
ある日のリレーションシップ講座
「硬直した集団の雰囲気、悪循環を起こす関係性を
変えられるのか?変えるとしたらどうしたらいいのか?」
をテーマにしたロールプレイサイコドラマを実践しました。
具体的には、ひとつは、問題が起きて、感情的に責める人、責められる人、
押し黙る人たちがいる場。
もうひとつは、やる気のない、不毛な時間が過ぎる重たい打ち合わせの場。
の設定です。
☆ ★ ☆
これらに対して、私が明確な答えを持っているわけではありません。
こうではないか?という仮定は持っていたとしても
生身の人間同士の生体反応にかかると、容易にそれははじかれます。
こんなふうに働きかけられると自分はこんな気持ちになる、
こんな反応を起こす自分がいる、ということを互いにシェアし合いながら
じゃぁ、どうしたらいいだろう?を実験し合う、まさにライヴ。
参加者は受け身ではなく、それぞれに、自身の悩みから
こんな設定をやってみたいを果敢に実践します。
こんなことを言われると、他者はこんな気持ちになってるんだ…
ということを目の当たりにして、
違うやり方を実践してみて、相手の反応に耳を傾けてみたりする。
皆、口々に言われるのは、
「演技なのに、本当にそういう気持ちになる」ということ。
皆、全身全霊。
めちゃくちゃエネルギーを使うし、必死になってやる。
だから、面白い。
私は、毎回、ああ、人って凄くて、素敵としみじみと思います。
以下、昨日の参加者の感想です。
自分は、どうしても「なぜ、○○したの?」と怒って人を追い詰めてしまうタイプなので、怒られる役をやってみて、ものすごく勉強になった。怒りの圧力を受けていると冷静に答えられないしすみません、と言い続けていると本当に自分がものすごく悪くてダメなんだと思えてきて、何も言えなくなっていました。
怒っている人がいたら、なだめて、機嫌をとって、場をとりなすということをやってしまっていたなと思う。怒りにチューニングするというのは勉強になりました。
怒っているMさんの演技を見ていて、一生懸命さがものすごく伝わってきた。真帆さんが言うように一生懸命だからこそ、それだけ熱量を持っているからこそ人は怒るのだということが感じられた。また、怒りの勢いで問い詰められて、何も言えなくなっているHさんの様子を見て過去に、学校に行けなくなったときに父親から「なぜ、行かないのか?」とものすごい勢いで問い詰められ、自分でも理由がちゃんとわからずに何も言えなかった…ということがあったことを思い出した。
やる気のない人のままで居続けてみようと思ったら意欲的に働きかけてくる人の目をできるだけ見ないようにせざるを得なかった。そちらに引っ張られてしまいそうだったから。裏を返せば、人の気持ちを動かそうと思ったら人の目を見て語ること、なのですね。自分もそんな働きかけができるようになりたいと思った。
感情的に怒ってしまうと、冷静に話すことができなくなるから、不毛だと思っていたけれど、一生懸命さはものすごく伝わるし、感情的になったことを後から謝ることもできるわけでそういう表現法も自ら選択してできるようになったらすごいと思いました。今、場の空気を読めることよりも鈍感力のほうがもてはやされる傾向にありますが、場の空気を読めることはすごいことで、それに勝手に解釈するのではなく、そこを手掛かりに働きかけていくことだってできるのですね。
なぜ、私がロールプレイサイコドラマを始めたのか?
私は30歳頃まで、怒らないことが美しいと大きな勘違いをして生きていました。
ですから、イライラして八つ当たりをするような人がいると、
当たり前に、その人が悪いと決めつける「ものの見方」をしていたのです。
でも、それは、無意識のうちに自分を被害者と認定していたということ。
明らかに「悪い」人が存在していて、私はそれに悩まされている被害者で、可哀想という発想です。
もう15年ほど前のことです。
あるセラピーの中で、私は、イライラして八つ当たりをするお父さん役を演じたことがありました。
そのとき、本当に衝撃を受けました。
家族に八つ当たりすることで、人が背を向け、自分から去っていくことが本当はものすごく寂しく、
同時に、その仕打ちが憎らしく、でも、それをどうすることもできなくて、
その苛立ちから、かえって声を荒らげていく…という心理を
私は演じることを通してありありと体験したのです。
そして、その次のドラマのキューで、
仲がいい家族の設定としてお父さん役を演じたときに
にこにこと迎えてくれる奥さん役の女性を心から愛しいと感じました。
「人」ではないんだ…
「人」を嫌いになったり、憎むわけではない…んだ…
他者の反応で、つまり、お互いの反応が変われば、関係性は変わるんだ…
自分ではない他者の気持ちをわかったときに、
それは、具体的には亡き父が感じていたであろう気持ち…でしたが、
人と人とがうまくいかないとき、敵対するのでもなければ、距離を置くのでもなく、
互いにもう一歩歩み寄って、対話することができる可能性や方法があるのではないかと
希望の光を見出した瞬間でした。
私に何もできないわけではない…と。
よく言われる「自分が変われば、相手も変わる」というある種の奇跡を
起こすことができるんだ…!と。
とは言っても、もちろんそんな簡単なことではないけれど、
私が他者に対する認知を変えることができたのと同様に
自己を深めようと模索し続けている縁ある方々にも
体験を通して新たな世界を見て欲しいと思いました。
★ ★ ★
そして、やってみたら、
なぜかそのファシリテーションを当たり前にできる自分がいました。
そんなわけで、机上で学び合う勉強会がぐんっと進化して、
シナリオのないロールプレイサイコドラマを実践する
リレーションシップ講座となりました。
ご興味があれば、覗き見にいらしてくださいませ。
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