【本ご紹介】『灯し続けることば』

さろん楓 真帆です。
いつもありがとうございます。

 

昨日のAC勉強会上級クラスでのこと。
「どうしても譲れないもの」
「これを失くしたら自分が自分でなくなってしまうもの」
そんな話題になりました。

 

皆、ここまで進んでくる道のりで、もちろんいろいろなものを手放して、
自分を頑なに防御していたこれまでとは違う柔軟なやり方、視点を手に入れてきています。

 

それでも尚、
仕事をしていくうえで、
表現活動をしていくうえで、
大切に握り締めなくてはいけない「何か」
自分を支えてきた核のようなものがあるのではないか…ってね。

 

うん、私もそう思う。

 

それは「こうでなければならない」「○○すべき」
というような完璧主義的なものではなく、

(その要素がちょっぴりある場合もあるけれど)

ちょっと大げさな表現をすれば、
人間の崇高さ、高潔さを信じる、というか、
そこに期待し続けるという姿勢、

人間への愛情のようなものではないかと思うのです。

 

AC勉強会に来ている方たちは、
本当に真面目で、真摯に生きている人たちです。

 

そして、とっても人が好きで愛情深い。

 

そんな皆さんにこの本を贈ります。

 

 

大村はま著『灯し続けることば/小学館

大村はまさんとは、戦後、公立の中学校で国語を

教え続けた教師。

2005年、99歳で逝去されました。

 

同じ教材は二度と使わなかったというぐらい

子どもたちにことばの力を伝え続けた方で、

私自身が、その教え方にすごく感銘を受けているので

AC勉強会でも折に触れて紹介している方です。

この本は、教師という職業の方だけでなく、
歳を重ねていくにつれ、おのづから人の上に立つことになるすべての人の

こころに響く大切なエッセンスが含まれていると思います。

 

特に、私も含めた「人のこころに触れる」仕事をしている人たちには

必須の内容と思います。

 

一節だけ引用させていただきますね。

そのほかのことは、
うれしかった思い出にすぎません

子供と遊ぶとか頭をなでるとか、そういうことも子どもへの愛情の一つの表現かもしれませんが、

それだけで愛情を表しきれるものとはお思いにならないでしょう。

教師としての子どもへの愛情は、子どもが私の手から離れたときに、

人間として一人で生きていく力を身につけさせることだと思います。
それができなかったら、子どもを愛したとは言えないのではないでしょうか。
国語教師としての私の立場から言えば、そのときに十分なことばの力が
身についているということです。

 

日常の話したり聞いたり、読んだり書いたりするのが十分で、
何の抵抗もなくそれらの力を活用していけるようになっていたら、
それが私が子どもに捧げた最大の愛情だと思います。

 

後になってみれば、一緒に遊んでもらった、頭をなでてもらったなど、
そのほかのことは単にうれしかった思い出にすぎません。
生き抜くときの力になっていない単なる愛は、センチメンタルなものだと思います。

ほかに

 

「したことの悪さより、しかられた傷のほうが大きいということはないでしょうか」

 

なんて項目、読みたいでしょ?

 

この本、さろん楓にございます。
貸出はできませんが、さっと読めますので
お手にとってみたい方はどうぞお声がけくださいませ。

☆    ★    ☆

どんなに好きなことであれ、得意なことであれ、
それを表現しようとするとき、仕事にするとき、
何かを成し遂げようとするとき、
どうしたって、産みの苦しみがあり、
終わらせる苦しみがあり、そこに責任もあります。

 

私たちは、そのときに、しんどい、ツラいと言っていい。
やりたいことをやっていたって、時には嘆いたっていい。

 

嘆きながらも、その苦しみを粛々と引き受けて
それを超えることを知っている人だけが視ることのできる景色があると思うのです。

 

その景色を見た人だけが、あとから来る後輩たちをそこへ連れていける。

 

そんなお役目を引き受ける時が来ている人たち、
そのように生まれついている人たちは、どうか引き受けてくださいね。

 

そして、そんな方たちにこの本は響くと思うのです。

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