男:
オトコが好きなのは、「美人」とか「かわいい」とか
表面的な外見上のポイントもあるけど、
「パッサパサでないこと」「潤っていること」
「冷たくなく、温かいこと」「固くなく、しなやかで柔らかいこと」
を本能的に求めている気がする。
この部分は、やっぱりそうだよね、と
実は膝を打ちたい想いでいます。
これ、まさに「ふるゆさ®」の目指す境地だから。
「男に愛されよう」とすると
女には変なスイッチが入ってしまうように思う。
何と言いますか、
従おうとするような。
小さくなるような。
言うことを聴くような。
なんだか意見を言っちゃいけないという気がするんです。
(私の偏見でしょうか?笑)
一生懸命「自分」「私」であろうとしているのに、
「愛されよう」と思った瞬間、受け身になる。
少なくともね、前回(→こちら)書いたように、
母親の愚痴を浴びて育った娘たちは、
素直に男に愛されようとは思えなかったりするわけです。
だって、見下すか、畏怖するかの2つの道しかない。
だから、めいっぱい頑張ろうとする。
認めてもらおうと人一倍努力する。
でも、そうすると、
「パサパサ」で「乾いた」
「冷たくて」「硬い」あり方になっちゃうんじゃないかって。
だから、言葉を変えたいんです。
目指すは
「男が一緒に働きたい女」
「男に応援される女」
「男に尊敬される女」
です。
どうかしら?
けっこういい響きじゃないかしら?
でね、今、周囲の男性たちに
「一緒に働きたい女」像、
「応援したくなる女」像のインタビューをしています。
これ、興味あるでしょ?
なかなかに素敵な回答を頂いています。
何よりも真剣に、誠実に答えてくれるその姿勢に感動します。
(いろいろな年代、いろいろな職業の方に聞いています)
そして、私自身は、その答えの中に
女性として無理のない在り方、しなやかさを失わない在り方を
もう既に発見しています。
早く伝えたくてうずうずしてますよ。
そして、その姿は、後からやってくる若き妹たちに
「あの人みたいになりたいな」
「ああいうふうに働き続けたい」
「ああいう生き方もあるんだね」
「ああいう生き方もかっこいいかも!」
って、たくさんの素敵な選択肢を見せることにつながっていく。
私たち、30代、40代、50代は、
そういう責務も担っていると思うのです。
でも、別に女だけで頑張る必要はなくて
男性と共に創っていけたらいいですよね。
コメント