男女共生「男性性×女性性の統合・調和へ」 第3回 男の弱さ・女の強さ

男:

 

オトコって、親・社会・教育・世間の常識で
「強くなければならない」と刷り込まれている。

自分の「弱さ」をさらけ出すのはとっても勇気のいること。
これをさらけ出せるのは、本当に心を許した相手だけ。

 

その一方で、ホステスさんのように
「他人」だからこそ安心して話せる人がいるという傾向があるのも興味深い。

 

オトコがやたらと上から目線で(特に女性が相手だと)
教えたがる、答えを示したがるのは、
自分を大きく見せたいというつまらぬ虚栄心(ええかっこしぃ?)からであると同時に、
頼られたい・役に立ちたいという本能的なものから来るのかもしれない。

だから、男性は女性よりはるかに生きにくい、とも言えますよね。

(女性の生きにくさはまた別のモノ…)

でも、女性は男性のそういう部分を見ることを決して嫌がっていない。
むしろ嬉しいと感じている。

 

そして、そういうときにこそオンナのハラは座る。強くなる。

 

男性にとってしがらみのないところが話しやすいというのは、

きっとまさにその通りで、ホステスさんをはじめ
水商売の女性が日本の男性を支えていると言っても過言ではないですよね。

 

でも、先日、某テレビ局が、ホステス経験のある女子大生の

アナウンサー内定を取り消したというニュースを読んで

ああ、このジェンダー観、女性観は苦しいなぁと思いました。

 

ホステス経験は、アナウンサーに求められる清廉性に欠けるという…。

女は種類分けされるのですよね。

 

でも、そういう場所に通うのはいったい誰なんだ?と。

こうした建前と本音の在り方も実に苦しい。

 

そもそもね、私たちの多くは、母親からの愚痴を浴びて育っているのです。

その愚痴の内容は、いかに男という生き物が弱くて、ずるくて、だらしないか。

社会というところが、厄介か。

 

娘に愚痴をこぼしてすっきりした母親は

「でもね、お父さんは立派なのよ」と締めくくる。

 

まさに二重に縛られる。Wバインドです。

 

そんな経験を重ねて、我慢する母を見てきた娘たちは、

自分はそうなりたくないと思うけれど、

実のところ、男性を見下すか、畏怖するかしかできない。

 

対等に話せるとも思えないし、心から尊敬することもできなかったりする。

その認知を変えていくためには?

男性の「善」をたくさん見るしかない。

 

私自身が今、男性の「善」を信じられるようになったから

男性に期待できるようになったから、

今、真剣にこうした自助グループ的なチカラが発動する集いをやれるようになりました。

 

セラピーって、なんとなくオンナ子どものものというイメージや響きがあるかもしれない。

でも、違うんですよ。

 

ダイナミックに脳に、私たちの物事の認知システムに働きかけている。

この会に参加すること自体、実は、認知行動療法を受けていることになるんです。

そんなこと、会のご案内にも書きませんし、言ったこともないですけれど。

 

私は、真剣にこうした療法のチカラを信じている。

それを楽しくやる、笑ってやる。

 

前回も「男性を尊敬することができた」という女性の声、頂きました。

男性からは「弱さを許すという女性たちの声を聞いて、なんだかちょっとほっとした」という声も。

 

あなたも自分の中に根付いている「男ってこういうもの」「女ってこういうもの」イメージに

揺さぶりをかけてみませんか。

 

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